グーグルのマインドフルネス本『サーチ・インサイド・ユアセルフ』以下、SIY。
前回の記事からの続きです。
瞑想するときの姿勢を選ぶとき、心に留めておくべきことがひとつだけあります。
それは「隙がなく、リラックスした状態を長時間保てる姿勢」にするということ。
このような状態を保てるのであれば自分の好きな姿勢で構わないのですが、参考までに仏教で伝わる最適な姿勢も紹介していきます。
瞑想中の伝統的な姿勢
本書では伝統的な姿勢として「毘盧七支坐法」(ヴァイローチャナ)が紹介されています。
ざっくり説明すると、背筋を伸ばし、蓮華座を組み、肩の力を抜き、アゴは軽く引く……という要領です。
現代人に蓮華座をすんなり組める人は多くないと思うので、「何千年も前から機能的に最適化された姿勢が存在するのだ」と知っておくだけで構いません。
要は、隙がなくリラックスした状態を保てさえすればいいのです。
チベット仏教の師、ソギャル・リンポチェは「自分の好きな山(富士山など)になったつもりで座るといい」と言っています。
SIYの講師、イヴォンヌ・ギンズバーグも、以下のような要領で説明します。
「息を吸い、背骨の位置を保ったまま息を吐き、肩の力を抜いて下がるのにまかせましょう」
目は開ける? 閉じておく?
瞑想中は目を開けていたほうがいいのか、それとも閉じたほうがいいのか。
著者のメン氏は「どちらにもそれぞれ長所と短所がある」と言っています。
目を閉じると、視覚的に気が散らなくてすむものの、眠ってしまいやすくなる。
目を開けていれば眠りにくくなるものの、目に映るもののせいで気が散る。
なので、メン氏がすすめる方法のひとつが「目を閉じた状態で始めて、眠りそうになるたびに目を開ける」というものです。
また、目をうっすらと開けたまま、何にも焦点を合わせないという方法もおすすめです。
マインドフルネスとセドナメソッド
瞑想中に、思考や感情、身体感覚によって気が散る場合は、次のステップで対処します。
まず認め、それを評価や判断を入れずに経験し、マインドフルネスを保ち続け、放してやるやる(解放する)。
(僕は、まさにセドナメソッドだなと思いました)
何かを感じたら、最初にそれをただ認めてください。
良い、悪いといった判断を下さず、あるがままにレット・イット・ビーしておきます。
そのことが、刺激と反応のあいだに間を置く練習にもなるのです。
そして自分の「意図」「動き」「感覚」の3つに対してマインドフルな状態を保ち続けます。
かゆいと思ったら「かゆさ」の感覚、「かこう」という意図、「かいている」という動きそれぞれに注意を向ける要領です。
その存在を認め、あとはまかせる
最後のステップ「放してやる」というのは、無理やり追い払うのではありません。
その感覚や感情に「来るものは拒まず、去るものは追わず」の選択権を与えます。
去っていくかとどまるかは相手にまかせ、いるあいだは優しく寛大に扱いましょう。
思考や感情、身体感覚に対し「ここにいてもいいし、行きたいなら行けばいいよ」というスタンスをとるのです。
命がかかっているかのように
もしここまで読んでピンとこない場合でも、次の一文だけ覚えておけばマインドフルネス瞑想を理解できます。
「命がかかっているかのように呼吸をする」
【記事08に続く】
チャディー・メン・タン著『サーチ・インサイド・ユアセルフ』
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