グーグルのマインドフルネス本『サーチ・インサイド・ユアセルフ』以下、SIY。
前回の記事からの続きです。
瞑想というと謎めいたものに感じるかもしれませんが、実際は心のトレーニングにすぎません。
2600年前の仏典で使われているパーリ語では、瞑想を「バーヴァナー」と呼んでいて、「培う」といった意味になります。
著者のメン氏はEQを伸ばすための「マインドフルネス瞑想」を紹介しています。
メタ注意が集中力につながる
マインドフルネスはふたつの重要な能力である「注意」と「メタ注意」を鍛えます。
メタ注意というのは「注意自体に注意を払う能力」です。
たとえば、あなたが何かに注意を向けていて、その注意がそれたときに「おい」と知らせてくれるのがメタ注意。
このメタ注意をもつことが、集中力を保つ秘訣でもあります。
注意がそれてもすばやく頻繁に復元できれば、結果的につねに注意を払っている状態を保てるのです。
隙がなくリラックスした状態
注意とメタ注意の両方が強くなると、隙がなくて、かつリラックスした状態になれます。
自転車に乗ってバランスを取りながら、楽しく進み続けるような感じです。
このような状態になれば、心に「穏やかさ」と「明瞭さ」と「幸せ」の3つが現れてきます。
泥水の入った壺をゆするのをやめ、静かに置いておけば、しばらくする泥が底のほうにたまり、水は透き通ります。
これこそがリラックスして、しかも隙のない状態なのです。
心もしばらくそっとしておけば、次第に穏やかで明瞭になっていきます。
「幸せ」は心の自然な状態
すると、自発的なかたちで心に幸福感が湧き起こってきます。
なぜなら「幸せ」というのは心の基本設定状態だからであり、本来の状態に戻しているだけなのです。
つまり、幸せは追い求めるものではなく、自ら可能にするものだということ。
ただ、あるがままでいることが幸せであり、そのためには自分の呼吸に注意を向けるだけです。
運動と瞑想の類似点
体を鍛えるのが運動だとすれば、心を鍛えるのが瞑想です。
筋トレをすればするほど力がついていくように、瞑想もすればするほど心的能力が高まっていきます。
また、運動も瞑想も、抵抗を克服することで進歩します。
筋トレでは筋肉を収縮させるたびに少し強くなりますが、瞑想では「呼吸から注意がそれたのに気づいてもとに戻す」たびに、心の力が少し強くなるのです。
これを理解すると「悪い瞑想」などないことがわかります。
瞑想中に注意がそれるのは、やり方が間違っているように見えて、それが良い練習になっているということ。
そして運動も瞑想も、人生の質を大きく変えます。
定期的に瞑想し始めてから数週間から数ヶ月がたてば、活力が増したり、心が明瞭になったりすることがわかるはずです。
まずは意図する
マインドフルネス瞑想のプロセスは、まず「意図」から始まります。
意図というのは自分の望みであり、たとえば「ストレスを減らすこと」や「健やかさを増すこと」などです。
この、意図を生み出すという行為自体も瞑想の一形態だといえます。
なので、時間をとって座ったりしなくても、事あるごとに自分を気づかう意図をすることで、あなたの心は変化していくのです。
また、その意図を他人への健やかさに向ければ、あなたの中の優しさが増し、誰もがあなたに好感を抱くようになるでしょう。
息の出入りを観察する門番
意図を生み出したら、その次は自分の呼吸に注意を向けます。
心を門番にたとえて、息の出入りをじっと観察しているようなイメージです。
自分と呼吸がひとつになるようなフロー状態に入るかもしれません。
とはいえ数秒で気の散った状態に戻ると思いますが、練習によってフロー状態を長続きさせられるようになります。
自分自身に優しくなろう
途中で気が散ると、たいていの人は自分の「基本設定」によってネガティブな空想に耽ったりします。
これに気づいたら、再び呼吸に意識を戻し、注意の集中を回復させましょう。
このプロセスが、心の筋トレになっていることを思い出してください。
そして、自分が自身に対してとっている態度を自覚しましょう。
もしも自身に批判的な言葉をつぶやいていることに気づいたら、それを優しさや好奇心のこもった言葉にチェンジします。
何度も繰り返すことによって、自然と自身への態度が優しくなっていくでしょう。
老婆心、つまりあるがままの自分を愛してくれるおばあちゃんのように自身を眺めるのです。
【記事07に続く】
チャディー・メン・タン著『サーチ・インサイド・ユアセルフ』
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