『頭をからっぽにするレッスン』要約#11 今までいったいどこにいたんだ

瞑想

10分間瞑想とマインドフルネスの本『頭をからっぽにするレッスン

前回の記事からの続きです。

マインドフルネスというのは、今やっていることに意識を集中することです。

なので、そのために時間を割く必要はなく、いつでもどこでも心のトレーニングはできるということです。

たとえば僕は今スマホでこの記事を書いていますが、フリック入力をする指の動きに意識を向ければ、それがマインドフルネスになります。

心のトレーニングをしつつ文章も書けるので一石二鳥だということですね。

意識を鍛える時間はみんなに24時間用意されている

あるアメリカ人の瞑想指導者は昔、1日8時間瞑想する僧院で修行していたとのこと。

1日8時間といっても修行所の中ではかなり短い部類に入るらしく、彼は1日18時間瞑想するという別の僧院に移ることを考えました。

そんなとき、導師に相談したら次のようなことを言われたそうです。

「心の修行の目的は、より意識をとぎすませることだ。それをする時間は、目を閉じて座っていようと、目を開けて庭を掃いていようと同じだけあるはずだ」

それを聞いた彼は、座っている8時間以外の雑務の時間も、立派な心のトレーニングになりうると気づいたのです。

1日が24時間なのはみんな同じで、意識を鍛える時間は誰にでも同じだけあるのです。

ストレスとなる考えがなくなる

意識していなければ、思考がすべてを支配し、一日中あなたの思考が気分を左右してしまいます。

なので、朝の10分間瞑想のとき「だけ」意識をとぎすませる、という考え方をやめて、マインドフルネスは1日を通じてできるものだと考えましょう。

いつ何をしていても、していることだけに100パーセントの注意を向けるということです。

今していることとともに在れば、頭の中の「本当はあれがしたい、こうあるべきだ」などといったストレスのもとになる考えがなくなるのです。

今までいったいどこにいたんだ

著者プディコム氏のもとに相談に来たある男性は、家族といるときでも他のことで頭がいっぱいで、心ここにあらずの状態になってしまうことに悩んでいました。

彼にまず瞑想をするようにアドバイスすると「家族のための時間さえ見つけられないのに、これ以上自分のために時間を割くなんて」と最初は抵抗したそうです。

でも実際は、彼がマインドフルネスの土台を築くことで家族との絆も感じるようになっていきます。

座る瞑想に慣れてきて3週目に入り、彼は歩きながらの瞑想を習います。

座るだけが心のトレーニングじゃないんだとここで理解できる人が多く、彼もその一人でした。

彼は毎日歩いていた場所の新鮮さに気づき、「私はいったい今までどこにいたんだ?」と言ったそうです。

意識して在る

今という瞬間は平凡であたりまえのように見えてしまいがちですが、それこそ特別なものです。

この瞬間をそのまま体験するのはとてもまれなことです。

ただ、手に入れるためにどこかに行ったり、何かをしたりする必要はなくて、それはごく普通の日常の中にあります。

これこそがマインドフルネスであり「意識して在る」という意味なのです。

記事12に続く

アンディ・プディコム著『頭をからっぽにするレッスン

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