『運命を拓く』要約と感想その9。信念は雑念の下に埋もれている

瞑想

中村天風著『運命を拓く 天風瞑想録

伝説の人、中村天風氏の本を数記事に渡って要約していきます。

前回の記事では第七章「人間の生命の本来の面目」、今回は第八章「人生の羅針盤」についてです。

人間の心を絶対的に強くするために必要な、根本要素となるものを取り上げていきます。

人生真理というものを理解するということは、花園を汚す雑草を、切れ味するどい鎌で刈りとっていくようなものです。

理解するだけでなく、自覚する

心の中には自分でも愛想が尽きるような悪い思想、悪い観念がはびこっていると思います。

そうでなくとも恐怖、怒り、悲しみといった心の光を暗くする観念が、僕たちの心に発生します。

こういったものを心から除き去っていくことで、健康や運命を正しく建設していけます。

このような話を聞いているときは「その通りだ」と納得しても、自分の身に病や不運が起こった際、教わったことを活かせないのではないでしょうか。

ただ理解するのではなく、自覚する、すなわち自分の魂に受け入れることです。

心の雑念妄念を払い除き、自分の知識の中に受け納める必要があります。

正しい自覚を持とう

表面的な知識だけをもっていると、逆に害になることもあります。

夜眠れないときなどは「眠れないなぁ」で済むところ、下手に「不眠により体内の疲労素が増え、病気の素を作ってしまう」などと考えると、余計眠れずに苦しむことになります。

正しい自覚を持っていれば、雑念妄念を払いのけ、心の態度が積極的になり、気高い心ですべてを処理することができます。

真理に目覚めれば、人生を不調和に陥れたり、破壊してしまうような気持ち、心持ちが現在よりもはるかに少なくなるでしょう。

消極的な感情や観念をなくしていけば、宇宙霊の力をよりよく自分の生命の中に集めることができます。

人生というのは油断も隙もないもの

人生を悟ることで、宇宙霊の無限の力を受け入れる器を用意したことになります。

天風氏は過去に惰性的な生き方をしたばかりに、病を引き受けたり、しなくてもよい苦しみを自分の生命に与えてしまったと言います。

自分の生命の全体は、自分で守っていかなければなりません。

自分の身に何のアクシデントも起こらなかったら、深く考えることなく、金だ、食い物だ、恋だ、遊びだといって過ごしていられるでしょう。

しかしながら人生というのは本来、油断も隙もないものです。

人間というものは、虎に追いかけられて木に登ると、上から大きな蛇が来て、ツタをつたって谷底に逃げようとぶらさがっていたら、そのツタの根本をリスがかじっているという状態なのです。

信念は根本的な要素

いくらお金が入り、地位が高くなろうとも、幸福な人生を送っていけるとは限りません。

人生を完全に活きるために一番根本的で、心を頼もしいほど積極的にするものは「信念」です。

信念というものが抜けていると、良いことを聞いても、良いなあと思うだけで本当に自分の心のものになりません。

信念が欠如しているというか、いろんなモノがかぶさって隠れてしまっているのです。

信念の力というのは、諸事万事を完全にする根本的な要素なのです。

古今東西において、信念の重要性を力説する人は多くいて、例えばソロモンも「人の本当の値打ちとはただ信念の二文字である」というような言葉を残しています。

釈迦も、キリストも、マホメットも、孔子も信じることの大切さを説いています。

科学は万能ではない

信じる気持ちを持っている者は、ものの本当か嘘かをパッと見抜けます。

現代の人間は信念の重要性をなさけないほどに考えず、何でもまず疑いから考えようとします。

疑いがいけないのは、疑い出したら何事も安心できなくなるからです。

眠っている間に死んじゃったらどうしようと疑ったら眠れなくなります。そんなことを思わなければ普通に眠って朝に目を覚まします。

何事も疑いからはじめる習慣になってしまっているのは、科学教育の弊害です。

科学は証明を必要とする学問で、証拠がなければ是認しませんが、科学は万能な学問ではありません。

何事をも科学的態度で、1+1=2でなければ承諾しないという考え方で活きていると、自分の人生がいつの間にかわからないことだらけになってしまいます。

信念を煥発する

ゲーテいわく「凡人というものは、何事も信念なく諸事に応接するために、自然に不可解な苦しみに悩んで、不安な生涯を送ることになる」。

このように信念というのはとても大切なものですが、信念を確立させ、強くするにはまず「信念を煥発すること」です。

(煥発とは、輝き現れるという意味)

信念は出たくてうずうずしているのに、消極的な観念にフタをされ、僕たちの心の底に下積みにされているのです。

信念が煥発されてくると、くだらないことは考えなくなり、神経も過敏にならず、何事にも動じなくなります。

そうなるために座禅の修行を長時間したり、特別な難行苦行をしたりする必要はありません。

寝る前に鏡を見て「お前は信念が強くなる」と自己暗示すれば、信念はどんどん煥発されるはずです。

雑念妄念を除けば信念は出てくる

ただ信念信念と言っているだけでは、いわゆる盲信という価値のない精神状態になることがあります。

鏡を見て行う合理的な方法で煥発された信念は、盲信ではない正信念です。

盲信の場合だと宇宙真理に感応しないので、雑念妄念のみの消極的な心になってしまいます。

根も葉もないことに根や葉をつける、精神異常者のような迷信家にならないように。

自分の心の中に生まれながらに、霊性意識の中に入っているものなので、雑念妄念を除けば信念は顔を出します。

埋もれている霊性心を発現させる

隣のおばさんの顔を借りる必要もないので、自分の顔を鏡に映すのは簡単なことです。

精神統一して、顔の眉間に向かって、自己暗示を注ぎこめば、信念はぐんぐん出てきます。

女の人も、電車の中でコンパクトミラーを出して高くもない鼻をパタパタ叩いている間に、ついでに自己暗示したらいいのです。

学問ができても、お金が入っても、信念がなかったらその人生は哀れ惨たんたるものになります。

信念というのは、頑張るのではなく、煥発してくるのです。

雑念妄念の厚い壁をやぶれば、霊性心は自然に発現します。

信念から始めた仕事

天風氏がこの伝道師としての仕事を始めようとしたとき、田中智学という日蓮宗の有名な坊さんに止められました。

しかし天風氏は「ただ人を幸福にすれば良いのだ。自分にできないはずはない」と思ったとのこと。

天風氏のお母さんと奥さんだけが信じてくれて、他の人々は彼の頭がおかしくなったと思ったそうです。

(もともと銀行の頭取をしていた人間が急に地位を捨て、大道公演を始めたわけなので)

しかし信念にしたがった結果、時代を超えて天風思想が受け継がれているのです。

次の記事に続く

中村天風著『運命を拓く 天風瞑想録

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