中村天風著『運命を拓く 天風瞑想録』
前回の記事では第八章「人生の羅針盤」、今回は第九章「第一義的な活き方」の前半部分についてです。
冒頭で天風氏は「眼を開き安定打坐!」と説きます。
安定打坐というのは天風流の瞑想で、静かに座って目を閉じなくても、この無心の境地にすぐなれるようにしなさいという意図があります。
座禅の本来の目的は「常住坐臥」、生活している刹那刹那に必要とするものなのです。
(常住坐臥とは、座っていても寝ていても、という意味。鬼滅風にいえば全集中常中)
静かな心で
不要なことには眼にふれても、感覚に感じようと、つかず離れずでいましょう。
僕たちは見るもの聞くものに、無用にとらわれるからいけないのであって、放っておけばよいのです。
たまたまそういう境地になれる場合もあるかもしれませんが、意識的にできるように自分の心を操縦することが理想です。
心は自分のいのちを守るものなので、静かで澄み切った状態を保ちましょう。
第一義的な活き方とは
病があっても、不運に見舞われようと、心の力で苦をも楽しむ。
これが天風教義でいう第一義的な活き方です。
そのためには人生に対する考え方を積極的にする、すなわち尊く、強く、正しく、清くするということです。
自分の住む世界や環境が、たとえ他人から見て大したことがなくとも、自分が心の底から満足し、感謝していれば良いのです。
その人は幸福のるつぼの中で恵まれて活きているといえます。
苦しい境遇を価値あるものと見る
熊沢蕃山という人のエピソードを紹介します。
蕃山は山奥で母親と二人、貧しい暮らしをしていました。
もともとの血筋が良いだけに、学問を志し、作った野菜を町で売るかたわらで勉学にいそしんでいました。
山を二つ越したところに、中江藤樹という当時の優れた学者が住んでいて、武士の家系の人たち相手に講義をしていました。
蕃山は垣根の外でこっそりその講義を聞いていましたが、門弟がそれに気づいて藤樹に話すと、庭の中まで入れてやりなさい、となった。
そして藤樹は蕃山に言います。
「聞くところによると、お母さんとお前だけで、山二つ越したところに住んでいるらしいが、うちの馬小屋に来て住んではどうか。
そうすれば四時間もかけて来なくても、私の話を聞けるようになる」
これに対し蕃山は涙を流しながら、
「ご親切なお気持ちはわかります。しかし私は、山二つ越えてここに来るからこそ辛抱甲斐があると思っております。
ここでご厄介になって、対して疲れも感じずお話を聞くなんてもったいない」
と答えたという話で、天風氏はそれを聞いて「これだ、これだ!」と思ったとのこと。
苦しみを楽しみに振りかえる
この話に感銘を受けた天風氏は十五歳の頃、家を出る決心をします。
簡単に家を飛び出せるような時代ではなかったので、織田信長の少年時代さながらの乱暴狼藉をはたらき、親に愛想をつかせたそうです。
そして天風氏は父親の知り合いである、頭山満氏のもとに送られました。
その後はスパイとして活躍したりといろいろ苦労したとのことですが、苦労を喜びとして活きる気持ちができていたわけです。
楽しみは楽しみ、苦しみは苦しみ、と別にすることなく、苦しみを楽しみに振りかえる心持ちが、人間として必要です。
天風教義はこの点に主力を注いでいます。
晴れてよし、曇りてもよし、富士の山
なので天風教義を習い、天風氏にお礼を言う人の中で、本当に理解してるなと思う人は、彼に言わせれば10人に1人いるかいないかとのこと。
「先生にいろいろ教わったおかげで、体も丈夫になり、商売も繁盛し、幸せです。ありがとうございます」
といったお礼だと天風氏は「この人、いったいどんな聞き方してたんだ?」と思うそう。
「先生の話を聞いたら、苦しいことや憂いことがあっても負けなくなりました。病があっても、宇宙が自分に活き方の悪さを教えてくれたのだと、感謝できるようになりました」
といった答えをもらえることを、天風氏は期待しているわけです。
「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山」ということで、体調がすぐれなくても、それに取り合わない心を持つことです。
すべてに感謝する人が本当の幸福を感じる
何度もいうように、人間の思考が良くも悪くも、深刻であればあるほど、その事柄を引きつけるにふさわしい資格を自分で作ります。
なのに凡人には環境をやたらに呪い、運命を悲観する毎日を送る人が多い。
そういう人間はお金が入っても環境がよくなっても、本当の幸福は感じないでしょう。
本当の幸福とは、自分の心が感じている、平安の状態をいいます。
現在の生活の状態、境遇、環境、職業、何もかも一切のすべてに、心の底から本当に感謝して活きていれば、本当にその人は幸福なのです。
(次の記事に続く)
中村天風著『運命を拓く 天風瞑想録』
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