中村天風の講演録『君に成功を贈る』。
前回の記事では「思い通りの人生に生きる」の章をまとめました。
クンバハカに関することも前回で触れています。
今回は「敵をも味方にする」の章について。
天風氏は講演の日が雨だった場合はよく講談をしていたそうで、今回は主に桂小五郎と近藤勇の果たし合いの話がメインです。
本文は味のある語り口で面白いですが、この記事ではそこから教訓になる部分をまとめます。
ちなみにこの記事と次の記事で、本書の最後までを要約する予定なので、もうしばらくお付き合いください。
敵がいるから自分の価値が定まる
日本の昔の武士というのは大義名分に生きることを重視していたので、どんな場合でも敵を愛し、憎むことは決してしませんでした。
自己の存在は相対的なものがあってこそ、その存在を確保できるということです。
宮本武蔵が随一の剣客と言われるにいたったのも、佐々木小次郎という強い相手がいたからです。
「武蔵もさすがに小次郎にはかなわないだろう」とまわりが思っていた中で勝利したから、小次郎は武蔵の強さを証明した恩人ともいえるのです。
だから自分の人生の前にあらわれるものはすべて、自分というものの価値認識のために必要な、尊いものだと考えましょう。
近藤勇と桂小五郎
明治維新のとき、思想は佐幕と尊皇とに分かれ、互いにしのぎを削っていました。
卑怯なふるまいをする者はおらず、正々堂々と剣をもって解決していた時代です。
佐幕の巨頭は新撰組という浪人の武力組織で、尊皇派の弾圧に暴れ回っていました。
大将格が近藤勇という人物で、たいそうな荒くれ者だったそうです。
「類は友を呼ぶ」ということで、一筋縄にはいかないような者ばかりが集まりました。
ある日新撰組のナンバー2、土方歳三によると、長州の桂小五郎という男が強くて、近藤でも歯が立たないだろうとの噂が立っている。
新撰組は桂小五郎に果たし状を書き、彼を3日後の妙心寺に呼び寄せました。
昔の武士というものは果たし状を渡されたら、理由もきかずにオーケーするのでした。
心の態度が積極的なら敵も味方になる
約束の日の丑三つ時、弟子数人を連れて待っていた近藤勇のもとに、ギリギリになって桂小五郎は現れます。
来るのが遅かった桂に対し近藤は怒り、刀を振りかぶって桂を挑発します。
しかし桂のほうはひょうひょうとしていて「このようなつまらない果たし合いをしたところで世の中のためになるのか?」と言います。
近藤のほうは聞く耳を持たず「つべこべ言わずに刀を抜け」と言ってばかり。
そこで桂、そっと刀を抜いたかと思ったら切っ先を近藤の目に向け、一瞬で自分の剣の腕前を知らしめます。
桂は自分の刀を納め、満面の笑みで近藤に近づき、彼の肩を軽くたたいていさめるのでした。
これは桂小五郎の人格の魅力をあらわした物語です。
心の態度を常に積極的に保てば、敵をも味方にできるということです。
憎い人などいなくて、あるのは思いだけ
天風氏の教えている心の力を実際に証明したのが桂小五郎です。
憎い人がいるのではなく、僕たちと中に憎らしい思いがあるだけだということ。
優れた人どうしはケンカをせずに和合します。
敵としてあらわれたものを味方にする心の力は、僕たちにもあるのです。
(次の記事に続く)
『君に成功を贈る』中村天風
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