前回の記事からの続きです。
何かに振り回されているような感じがするとしたら、その理由は「心の漏れ」にあります。
心の漏れとは、自分にとって必要のない物事に反応してしまうことです。
人の心は、日々いろんなことに反応しっぱなし、すなわち漏らしっぱなしです。
ここからはそんな心の漏れを止める方法を学んでいきます。
現実と妄想を区別する
改めて目を閉じて、自分の両方の手のひらを握ったり開いたりしてみてください。
そして「この手を使ってできることだけが自分の輪郭であり、この手の届かない世界は妄想ゾーンなのだ」と理解してください。
「自分の輪郭」と「妄想ゾーン」の二つが大切なキーワードとなります。
実際に手の届く範囲や、感じ取れる全身の感覚が自分の輪郭です。
それ以外の自分で動かせないもの、つまり世の中もそばにいる誰かも、すべては妄想ゾーンに属します。
人は自分以外の他人も、思い通りに動かせるものだと心のどこかで期待しているため、そうならないことでストレスや動揺が生まれるのです。
現実と妄想、自分で動かせる範囲と動かせない範囲をしっかりと区別しましょう。
自分の輪郭に留まることが精神統一
仏教でいう「精神統一」とは、自分の輪郭に留まって、心を外に漏らさない状態をいいます。
体の内側にサティ(気づき)を働かせ、何があるかを知りつつも、外に反応していないという状態です。
おりんをチーンと鳴らして、その音がだんだん消えていくまでの様子をしっかりと「見つめて」ください。
「聞こえているけれど反応していない。ただ理解している」というように心を保つのです。
この実践がいわゆる瞑想や座禅です。
相手の言葉は相手の持ち物
反応せずにただ理解するという心がけを、自分と関わる人を相手にやってみましょう。
たとえばその人に誹謗中傷されたり、上から目線のことを言われたりした場合でも、ただ「(人の声が)聞こえている」と理解します。
これができればストレスは溜まりません。
ブッダも、暴言を吐いてきたバラモンに向かって「私はあなたが差し出すもの(言葉や感情)を受け取らない。そのまま持って帰るがよい」というように返したらしい。
相手がどう考え、何を言ってきても、こっちが反応しなければすべて相手の持ち物なのです。
相手の言葉に反応するプロセス
なんか言われたときに対する自分の心の動きを、段階的に見ていくと以下のようになります。
- なんか聞こえている、けれど反応していない。
- 言われたことを理解はできる、けれど反応していない。
- 言われたことの意味を考え、その意味に反応し、怒りが湧いた。
- そのことを思い出し、記憶に反応し、また怒りが蘇った。
この場合、ブッダならばだいたい2のあたりで終了するものの、ほとんどの人は瞬時に3まで到達するわけです。
3のときの反応レベルが高ければ、そのぶん4の「記憶に反応する」レベルも上がります。
心の後ろ半分を自分に、前半分を相手に
相手に対し、心を漏らさない(反応しない)対策は3つあります。
第一に「踏み留まる」すなわち意識を相手ではなく自分の感覚に留めること。
第二に「聞こえてる・理解はできる」という心だけを相手に向けること。
第三に、反応によって生まれてしまった感情や記憶を、早めに洗い流すことです。
踏み留まるための手順としては、まず足の裏の感覚に意識を向け、次に胸の鼓動に意識を向け、その状態をキープしながら目の前の相手を理解する。
心の後ろ半分を「自分の反応を見ること」に使いつつ、前半分を「相手を理解すること」に使う要領です。
これは難しく見えるものの、想像以上にシンプルで楽な向き合い方かもしれません。
一人でいる時間にシミュレーションすることで上達していきます。
【記事08に続く】
草薙龍瞬著『こころを洗う技術 思考がクリアになれば人生は思いのまま』
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