グーグルのマインドフルネス本『サーチ・インサイド・ユアセルフ』以下、SIY。
前回の記事からの続きです。
実生活で、忌まわしい考えや情動というのはどうしても湧き起こるものです。
ただ、それらが湧き起こるのを防げないにしても、湧き起こるそばから手放していくことはできます。
ブッダはそのことを「水面に字を書くようなもの」と表現しました。
悟りを開いた心であれば、忌まわしい思考や感情も、発生した途端に消えるのです。
感覚と情動は別個のもの
人生を変えるたくさんの重要な悟りを、瞑想から得ることができます。
そのひとつが「痛みと苦しみは別だ」という悟りであり、執着を捨てる練習から得られます。
僕たちが経験する苦しみは「執着」と「嫌悪」が大きな割合を占めていて、このふたつを捨てるのがカギとなります。
まず感覚と知覚があり、その次に執着や嫌悪が湧き起こるという、それぞれが別個であることに注目してください。
普通はこの違いに気づかないけれど、マインドフルネスの練習が深まると区別できるようになるのです。
心の解像度を上げて痛みと苦しみを分ける
たとえば肩がこるなど肉体的な痛みがあり、それをイヤだと思っているとします。
未熟な心はこの「痛い」と「イヤだ」とひとつにまとめてしまいます。
でも、熟練した心なら「痛み」と「嫌悪感」を別個の経験として分けることができます。
このように心の解像度が上がれば、痛みから苦しみを抜くという可能性も開けます。
なぜなら、痛みそのものではなく嫌悪が苦しみの真の原因だからです。
苦しみは、それに対する自分の評価のせいで起こる
ジョン・カバットジン氏の「マインドフルネスストレス低減法」のクリニックに来た男性で、彼は足にひどい痛みを抱えていたとのこと。
彼は瞑想の練習を積むにつれて「痛みにあまり変わりはないが、痛みに対する自分の態度は大きく変わった」と言ったそうです。
古代ローマの皇帝マルクス・アウレリウスも自身の『瞑想録』という著作で以下のように語っています。
「何であれ外界のものに苦しめられているなら、その痛みは、もの自体のせいではなく、それに対する自分の評価のせいだ。そして、その評価なら、いつでも取り消す力を私たちはもっている」
捨てる心が執着を解放する
また、僕たちは楽しい経験をしているとき、その経験もいずれ終わってしまうと思って苦しむことがあります。
ティク・ナット・ハン氏は「花が枯れないでほしい、という非現実的な願いが苦しみを生み出す」と言っています。
花はいずれ枯れると理解し、咲いている間を思う存分楽しむことは可能です。
捨てる心があれば、執着や嫌悪や苦しみという感情から解放され、人生を細部まで十分に経験できるようになるのです。
痛みがないときを知り、メタ苦悩をやめる
苦悩に対処するための原理を4つ紹介します。
まず「痛みがないときを知る」こと。
僕たちは痛みを感じていると「この痛みから解放されたい」と思っている割に、いざ痛みから解放されても喜んでいないものです。
苦悩の不在にたえず気づくという練習をすることで、幸せが増します。
また、痛みを感じているときも、それが連続するものではなく和らぐタイミングもあるとわかれば、余裕が生まれます。
次に「いやになることにいやにならない」こと。
苦悩に対してさらに苦悩するというのは、僕たちのエゴがよくやる行為です。
エゴを捨てることで、苦悩のループから抜けることができます。
怪物に餌をやらず、優しさとユーモアを
3つ目が「怪物どもに餌をやらない」こと。
(怪物どもというのは、エックハルト・トール氏のいうペインボディのことだと思います)
僕たちの心を怪物が乗っ取り、感情をかきまわしているのだとイメージしましょう。
このような怪物には手に負えない感じがするかもしれませんが、彼らは餌をもらわなければ生きていけません。
僕たちは怪物たちを追い払う力はないけれど、餌を止める力ならもっています。
4つ目が「あらゆる思考を優しさとユーモアをもって始める」こと。
悩ましい状況でもそうでない状況でも、他人への思いやりをもって始めましょう。
優しさには「癒やし」という重要な効果があります。
また、自分のしくじりにはユーモアを見いだしましょう。
自分の人生を壮大な喜劇とみなすくらい開き直ってもいいのかもしれません。
マインドフルネスは脳の働きを高める
マインドフルネスは、僕たちの思考を司る脳と情動的な脳とのコミュニケーションを助けます。
練習によって両者どうしの回線容量が増え、情報の流れが良くなると考えてください。
事実、マインドフルネスは脳の内側前頭前野の神経活動を盛んにしています。
これは、脳の統制システムのエネルギー出力を増やし、脳の働きをさらに高めるということ。
そして脳が司る「自己」や「言語」の部分をさらに巧みに使えるようになるのです。
【記事16に続く】
チャディー・メン・タン著『サーチ・インサイド・ユアセルフ』
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