エックハルト・トール著『ニュー・アース』。
前回の記事では7章の最後までを要約しました。
今回からやっと8章「内なる空間の発見」に入ります。
1〜5節についてです。意識を意識して、内なる空間に気づく、といった内容です。
これもまた過ぎ去る
スーフィ教徒たちに伝わる古い物語があります。
ある王様は気分の浮き沈みが激しい自分の性格に困っていました。
そこで悟りを開いたと評判の賢者を呼び寄せ、王様は言いました。
「私はあなたのようになりたい。人生に調和と静謐、智恵をもたらしてくれるものはないか」
賢者は王様に金の指輪をプレゼントしました。
その指輪には「これもまた過ぎ去るだろう」という文字が掘り込まれていました。
「何かが起こったら、それが良いことか悪いことかを決める前に、指輪に触れてこの言葉をお読みになることです」
以上、この言葉は以前説明した白隠禅師の「ほう、そうか?」や、物事の良し悪しを判断しない男の「そうかもしれない」に似ています。
目の前の出来事に抵抗せず、まるごと受け入れることのすばらしさを教えています。
「抵抗しない、判断しない、執着しない」は真の自由の、悟りを開いた生き方の3つの側面なのです。
すべては無常で変化が不可避であることを知って受け入れれば、楽しいことをが続いている間は楽しむことができ、それがいずれ終わることなどを心配しなくなります。
無執着によって人生に新しい次元、内なる空間が開かれます。
思考のまわりに空間が生じ、この世のものならぬ平安がにじみ出るのです。
「これもまた過ぎ去るだろう」という言葉は、現実の道標です。すべての形は無常であると示すことで、逆に永遠をも指し示しています。
あなたのなかの「永遠なるもの」だけが、無常を無常と認識できます。
モノの意識と空間の意識
人類が運命をまっとうするために、モノの意識に対して空間の意識でバランスをとる必要があります。
空間の意識とは、モノの意識(知覚、思考、感情)をもつと同時に、その底流に目覚めているということです。
この目覚めとは、モノを意識するだけでなく「自分は意識している存在だ」ということをも意識することです。
あなたは自分自身が「いまに在る」と感じていますか?
これはトール氏がときどき人に質問することです。
もう一つ、真実への道標としてこんな言葉があります。「私は自分の思考のせいで動揺したりはしない」。
思考より下、思考より上
ひどく疲れたときなどに、いつもよりリラックスした気分になったりします。
これは思考が後退し、心が創り出した問題だらけの自己を思い出さなくなるからです。
お酒によって「いまに在る」喜びを垣間見ることもありますが、無意識という高い代償が伴います。
思考より上にのぼるのではなく、思考より下に墜落しているからです。
「空間の意識」は思考より上にのぼる、人間の意識の進化のステップです。
いっぽう酒やドラッグで「いってしまう」のは思考の下におちる、意識の退化です。
テレビと意識
テレビを見ているときは心のなかで何の思考も生まれていないことがわかります。
なので「リラックス」できると感じます。
しかしテレビを見ている間、あなたの心はテレビ番組の思考活動とつながれています。
心が催眠術にかかったような、受け身で影響されやすい状態になるのです。
先ほどの飲酒の例のように、思考より下に落ちるということです。
テレビ依存症になると、番組がつまらないほど、無意味なほどに、テレビを消せなくなります。
テレビ番組の中には質の良いものもあります。また、笑える番組は人を癒す効果があります。
しかしほとんどの番組は視聴者を無意識にさせ、支配するのが目標になっているのです。
内なる空間の認識
思考と思考のあいだに空間が生じていても、気づいていないのかもしれません。
自分自身に気づいているように見えるときでも、自分をモノとして、思考の形として見ているから、気づいている対象はその思考であって、あなた自身ではありません。
内なる空間を、モノや経験を探すように探しても見つかることはありません。
これはスピリチュアルな認識や悟りを求めるすべての人々が陥るジレンマです。
心は普段、絶え間ない思考の流れで占領されています。
そこにたとえばシンプルな雨や風の音を楽しむなど、刺激的な娯楽を必要としないとき、心に一瞬であれ空間が開かれたということです。
このような経験を可能にする要素が、充足感や平和、躍動する生命感です。
歴史を通じて詩人や賢者は、真の幸福(いまに在る喜び)が、シンプルでささやかなものごとのなかにあると見抜いていました。
ただし真の幸福は、ささやかなものごとによって引き起こされるわけではありません。
ささやかなものごとが内なる空間に余裕を与え、そこから真の幸福つまり「いまに在る」喜びが輝き出すのです。
内なる空間と、あなたの本質とは同じひとつのものです。
内なる空間を発見するもう一つの方法は、「意識を意識する」ことです。
「私は在る」と考えるかつぶやき、あとは何も付け加えず、そのあとに続く静けさを感じ取りましょう。
(次の記事に続く)
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