『運命を拓く』要約と感想その7。感謝が運命を変える

瞑想

中村天風著『運命を拓く 天風瞑想録

伝説の人、中村天風氏の本を数記事に渡って要約していきます。

前回の記事では第五章「大いなる悟り」について書きました。

今回は第六章「人生と運命」についてです。

みんなが誤解しやすい「運命」とはどういうものか。

天風氏の言葉を借りながら説明していきます。

宿命と天命

自分の思う通りにならないことを、運命だと片付けてしまいがちですが、どうしようもない運命というのはそうもたくさんありません。

運命には「天命」と「宿命」の二種類があります。

天命は絶対で、宿命は相対的なものです。

例えばこの時代にこの地で、男もしくは女として生まれたのは天命です。

対して宿命というのは、人間の力で打ち開いていけるものです。

しかしながらこのような宿命にぶつかったらすぐに「どうしようもない」と、天命だと思ってしまいがち。

この「どうしようもない」という意味の言葉が世界中にあるのは、いかに凡人凡夫が多いかを示しています。

迷信などを当てにしない

どうしようもないと思ってしまうのは、自分の心持ちが消極的になっているから。

それに気づけば、積極的な心に振り替えれば良いのだとわかります。

このようなことを知らないと、迷信に陥りやすくなり、偶然のみを当てにして人生を過ごしがちになります。

自分でくだらない状態を選び、結果的にくだらない人生となってしまう。

無自覚な心、神経過敏な心でいると、自分だけが良くない運命に囲まれているように思えるのです。

それで占いだの、拝み屋だの、大安が仏滅が、などといった迷信に左右される。

教養のある人間だと思うなら、そういうバカバカしいことを当てにしてはいけません。

宿命を統制する

人生を光明あらしめるためには、まずは正しい運命を作る必要があります。

宿命を統制して活き、天命に安住する。

つまり自分の正しいと思う心のままに活きることで、自然と運命を選ぶ法則に合致することになります。

赤の他人の拝み屋などの言うことなど聞く必要はありません。

もっと自由な世界を活きていけばいいのです。

変えようのない天命なんてものは、極めてわずかしかありません。

感じた瞬間に心から外す

悲しみや怒りの感情を長く滞らせてはいけません。

しかしそれらを感じてはいけないと言っているのではありません。

天風氏はある日、入会したての学生から「僕も一日も早く、先生のような何も感じない人になりたいです」と言われたそうです。

「ちょいと待ってくれ。俺はお前と同じ人間だぜ。悲しいときは悲しい、腹の立つときは腹が立つよ」

「でも全然そんなふうに見えません」

「俺はそれにこだわらないからだ。フルスピードの列車の中から見る外の景色みたいに、感情も感じた瞬間に心から外してしまえばいいんだ」

「なるほど、僕は間違って解釈していました」

「そう、感じたものを握って手放さないからいけないのだ」

静かに、我が心に問う

必要なものだけを取り入れればよいものを、不必要なものも取り入れてばかりだから、心が消極的になるのです。

どんな場合にも執着しない、心がいつまでも引っかかっていないようにしましょう。

剣客が、相手の斬り込んでくる太刀を紙一重でかわすがごとく、心を汚さないにします。

怒ったり、悲しんだり、苦しんだりしているときに気持ちがいいでしょうか。もしそうなら精神病院に行ったほうがいい。

心静かに、自分に「憎しみはないか、怒りは、妬みは……」と問いかけてください。

これら消極的な気持ちは、宇宙霊の力を遠ざけ、くだらぬ宿命を招き寄せると考えましょう。

感謝と歓喜の習慣を

宿命統制のためにもう一つ必要なのは、心の中に感謝と歓喜の感情をもたせるよう心がけることです。

何でもいいので感謝と喜びで人生を考える習慣をつけましょう。

この心がけは宿命統制にすこぶる効果のある、絶対の真理といえます。

「真・善・美」でできている宇宙霊の心を、自分の心とするのです。

「神仏、我とともに在り」ということと同じなので、決して心が消極になることはありません。

結果的に宿命は自然に統制され、宇宙からのメッセージを受け取り、幸運に恵まれるようになります。

どんなこともすべてを感謝と歓喜に振りかえましょう。

すると宇宙法則に従い、僕たちによき運命が与えられます。

感謝すべき物事に気づこう

思考だけでなく、言葉も美しく表現されれば、いっそうよい結果がきます。

このような心持ちで活きれば、大した努力も必要とせず、生命によい調和が与えられます。

逆に憎しみ、怒り、怖れといったネガティブな心持ちや言葉は、その人々の血液に毒素を生じ、不調和をもたらします。

現代の人々はなんでも当たり前のことだと考えていて、感謝すべきことなどないように思いがちです。

例えば死ぬほどお腹がすいたときに食べ物があったらどんなに嬉しいか。感謝に値するものが周りにたくさんあることに気がつきましょう。

病や不運にも感謝する

極論すると「病になっても不運になっても感謝しなさい」ということになります。

神仏が、宇宙霊が、大自然が、もっと僕たちを活かすために、病をくれるのだと考えてください。

「今までそういう活き方をしていたからそうなったのだ。心を切り替えて、人生に対する態度を改めなさい」

このようなメッセージとしての病なのです。

そして生きてさえいれば、心がだんだん明るくなっていき、今までの活き方に対する欠点も見えてくる。

だからたとえどんな病があろうとも、生きているということはありがたいことなのです。

肉体的歓喜と精神的歓喜

歓喜には「肉体的歓喜」と「精神的歓喜」があります。

肉体的歓喜も人生に必要ですが、本質的に比較すると精神的歓喜のほうがはるかに高い価値をもちます。

修練会の日々のように、これからの毎日も喜びと感謝で活きるようにしましょう。

精神的歓喜は宇宙霊とつながるきっかけになります。

心というものは、人の生命と宇宙霊とのハーモニーという調子を合わせるダイヤルです。

そして感謝と歓喜の情は、人生の平安を賛美する音楽であり、宇宙の創造作用と合流する神聖なものです。

造物主の力の流れを、命の中に導き入れるパイプのような役割を果たします。

生きている限りは笑っていこう

あまりにも人生を物質主義で活きていると、これらの真理に無自覚になります。

自覚していないと、何事にも不平不満を持ち、自分で陰鬱な暗い世界を創ってしまいます。

同時に、価値のない迷信や宿命論に心酔し、人生の安定を失います。

今日からは良き運命の主として、何事にも感謝し、歓びの気持ちをもって活きていきましょう。

大山鳴動し来るとも、にっこり笑っていられる人間でいましょう。

一生は何百年生きたとしても、二度とはこないので、せめて生きている間だけは、どんなことがあっても笑っていきましょう。

折にふれて活力を吸収しよう

毎晩の観念要素の更改を真剣にやれば、暗示感受習性が働き、連鎖反応を起こすはずです。

難しく考えることはなく、安定打坐法や、プラナヤマ法を、折にふれて実行すればいいのです。

(プラナヤマ法とは、大自然のエネルギーを吸収する呼吸法、らしい)

時あるごとに活力を吸収して、肉体を鍛え、心をきれいにしていきましょう。

現在をあるがままに、感謝して活きている人間には、宇宙が無限の恵みを与えてくれます。

今日だけでも笑っていきましょう。悲しいのなら、明日悲しもうと思えばいいのです。

明日になったらその日が今日になるから、明日という日は永遠にこないのです。

次の記事に続く

中村天風著『運命を拓く 天風瞑想録

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