グーグルのマインドフルネス本『サーチ・インサイド・ユアセルフ』以下、SIY。
前回の記事からの続きです。
呼吸に集中しようと思ってがんばろうとすればするほど、うまく息ができなくなったりします。
なので、一生懸命にやるのをやめればリラックスした状態に入り、同時に自然な呼吸ができるようになります。
ムリに眠ろうとしなければ眠れるのに似ていて、結果にこだわらないほうが瞑想はうまくいくものです。
瞑想中は何も期待しない
ただ、恩恵や効果を期待しないようにと言われると、練習する気も起きなくなるという、ちょっとしたジレンマに。
これを解決するのが「瞑想の前には期待を持っていいけど、瞑想中は何も期待しないこと」という、アラン・ウォレスの言葉です。
いったん瞑想を始めたら、何も期待せずにリラックスしていましょう。
リラックスすることは集中のための土台となります。
なので瞑想の準備としてまず心をリラックスさせることで、瞑想もはかどるという好循環が生まれます。
喜ばしいマインドフルネス
マインドフルネスの練習として「喜びを瞑想の対象にする」というのも有効です。
愛する人とともにいる経験や、美味しいものを食べている経験など、穏やかな種類の喜びにマインドフルネスを向けます。
(喜ばしいマインドフルネスと呼びます)
この練習をすることで、経験自体の楽しみが割増しになるというメリットもあります。
ただしこの「喜ばしいマインドフルネス」は、フォーマルな瞑想練習の補足として考えてください。
スッカにたどり着く
フォーマルな瞑想の練習では、マインドフルネスを呼吸のような「苦でも快でもないもの」に向けます。
そのほうがマインドフルネスが深まりやすいのです。
メン氏は「喜ばしいマインドフルネス」を車の低速ギア、フォーマルな練習を高速ギアにたとえています。
日々の喜びに意識を向けることでまず発進して、呼吸などにしっかり注意を払う時間を作ってギアチェンジするわけです。
さらに、フォーマルな練習を続けているとサンスクリット語でいう「スッカ」が備わってきます。
スッカは「エネルギー不要の喜び」と表現され、もともと心の中にあるもの。
バックグラウンドに聞こえるかすかな音のようなもので、心を鎮めることでアクセスできるのです。
「集中した注意」と「開放的な注意」
体の健康には、強さとスタミナのふたつの要因があります。
注意にも「集中した注意」と「開放的な注意」があります。
集中した注意というのは、安定していて揺らぐことのない心です。
開放的な注意というのは、五感に訪れるものを何でも受け入れる心のこと。
マインドフルネスの瞑想によって、その両方を鍛えることができます。
体を鍛えるときに、サーキットトレーニングと呼ばれる、筋トレと走り込みを交互に行うようなやり方があります。
SIYの講座では、瞑想でのサーキットトレーニングにあたるエクササイズがあります。
瞑想のサーキットトレーニング
準備として楽な姿勢で座り、リラックスできてかつ隙のない状態になりましょう。
その状態から、自分の呼吸などに注意を集中させます。もし気が散ったら優しく注意をもとに戻しましょう。
次に、注意を開放させ、自分が経験していることや心に浮かぶものなど、対象を自由にさせてください。
これらの集中と開放を3分間ずつ交互に2回ずつ、計12分ほどの練習を行います。
最後に自分の呼吸を休息できる場所とみなし、練習を終わりにします。
ちょうどいい難易度のゲームのように
集中した注意、開放的な注意に共通する特徴が「メタ注意」です。
これは「注意に対する注意」であり「あ、今は心が静かだな」「今は動いているな」というような気づきといえます。
そしてどちらの瞑想でも、注意の鮮明さが上がります。
ただし、努力とリラクセーションの絶妙なバランスが必要であり、メン氏はゲーム感覚でやることをすすめています。
難易度を自分で選べるゲームのイメージで、簡単すぎず難しすぎずのちょうどいい設定で遊ぶのです。
このとき心は「フロー状態」に入っています。
思う存分に力を発揮しながらも、心は安らいでいるという状態です。
【記事12に続く】
チャディー・メン・タン著『サーチ・インサイド・ユアセルフ』
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