反応しない練習の実践編『これも修行のうち。』
前回の記事からの続きです。
新しい生活や仕事が始まってから約1ヶ月後に、急に疲れがどっと出るのがいわゆる五月病。
そんなときにどう心を使っていけばいいかを仏教に学んでいきます。
五月病になる理由
新しい世界に足を踏み入れたときに、疲れや不安、迷いが出るのにはいくつか理由があります。
まず、新しい判断や反応の連続に疲れてしまった。
次に、想像していたものと違う現実がストレスになってきた。
また、「この状況がいつまで続くのか?」と思って気が滅入るということもあります。
自分がこれらの心情のどれかに当てはまっている、もしくはまた別の気持ちがある、といったことを「正しく理解する」のが第一歩です。
ストレスを感じた原因は何か
こうした心情は、①ストレスを感じ、②そのストレスから逃げようと考え、③考えた結果「自分にはもっと適した仕事があるはず」といった判断につながります。
仏教では意外なことに、②と③はごく自然な反応と考え、①のストレスを感じた理由こそよく考えるべきとしています。
というのも、ストレスを感じると脳はストレス反応を正当化するような理由を自動的にどんどん作り出してしまうから。
なので、そもそも最初のストレス反応の原因は何か、それがどこから来ているのかを考えるべきなのです。
引き算で答えを導く
ストレスを感じている状況から「降りる」かどうか、選択するための考え方には手順があります。
まずは自分の妄想を差し引くこと。
「想像していたのと違った」と感じるのは自分の妄想によるものなので、妄想していたことを認め、目の前の現実をただ受け入れることが基本です。
次に差し引くのは慢、つまり自分は正しい、自分はもっと優秀なのだという思い。
自身のプライドを守るため、承認欲を満たすために人生の方向性を決める人々はけっこういます。
他人や社会の利益につながるような動機を持つことが理想です。
納得のいく選択をするために
なので大事な選択をする前は、自分自身に対しこんな風に問いかけましょう。
「君の気持ちはわかるけど、もともと都合のいい妄想、期待をしていなかった?」
「自分が正しいと思ってない? プライドや承認欲求にとらわれてない?」
ここでは以前に紹介した「つつしみ」の練習(小さく、小さく)が効果的です。
このように心の中から妄想や慢を抜いていくと、自分にとっての正解が近づいてくるはず。
その選択が正しかったかどうかはすぐには決められませんが、最終的に自身が納得できるかどうかです。
ただ、最後までとっておきたいのは「慈しみ」の心。
「お役に立てますように」「貢献することは外せない目的である」
この思いは人生をより良い方向に進めていくものなので、ぜひとも守り続けていきましょう。
体験することは、今を生きること
新しい道に踏み出すときの心がけとして1番正しいのは「とにかく体験してみよう」という思いです。
これは仏教的な「ただ今を生きる」生き方を現代風に表現したもの。
何でもまずは体験だと発想できると、心が楽になり、かつ自分にとって最大限の効果を発揮できます。
ある程度の方向性を自分で定めたら現実に踏み出し、あとは正しい方法で目の前の物事に集中あるのみです。
教わったことを経験で確認
方法は「教えてもらう方法」「経験によって学ぶ方法」「自ら工夫していく方法」の三種類に分けられます。
何でも、まずは素直になって誰かに教えてもらうのを最優先します。
「何をすればいいですか?」「どうすればいいですか?」「ありがとうございます。やってみます」
これらの言葉が使えれば難しいことではないはず。
「教えてもらう」がベースにあれば、後はひとつひとつの経験が学びにつながります。
そして「自分で工夫していく」というのは面白いものの、現実の作業においてはそれほど活躍が少ないと知っておきましょう。
あくまで「教えてもらい、自分の経験で確かめる」が基本。
工夫を優先してしまうと、現場で必要とされる方法がおろそかになる場合があるのです。
結果よりもプロセスに集中する
とにかく体験しようという発想に立ち、方法にしたがって実践していく。
これは対立するのが、結果や成果を期待する思いです。
ただ、「良い成績を取った自分」をイメージするよりも、「毎日の勉強にがんばっている自分」をイメージしたほうが成績は良くなったという実験結果があるそうです。
つまり、結果よりもプロセスに集中したほうが成果は上がるのです。
結果の前に原因があると考えるのが合理的であり、思考の正しい順序といえます。
瞑想も同じで、その効果を期待するのではなく、ただ「今ここ」に集中する。
瞑想に限らず、何でもやり始めたら結果を忘れたほうが、充実感もあって成果も上がるのです。
【記事14に続く】
草薙龍瞬著『これも修行のうち。実践!あらゆる悩みに反応しない生活』
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