反応しない練習の実践編『これも修行のうち。』
前回の記事からの続きです。
今回はまず、間違った考え方を正しい考え方に入れ替えていく方法を紹介していきます。
本書およびこの要約記事では、幸せや安心感、深い納得につながらないような思考を「間違った考え方」と表現します。
もともと人の心というのは、ほっとくと妄想にふけり、不満を溜めていく性質があるので、新しい心の持ち方を練習しようとする意識が大切なのです。
「慢」が苦しみを生み出す
見栄や優越感、プライド、自分は正しいのだといった思いを、仏教ではまとめて「慢」と呼びます。
人の心にある慢のせいで、ネガティブな妄想や不満などの苦痛が解消されません。
他人とぶつかった際は「ムッとする」「言い返す」「我慢する」のどれかの反応になると思います。
しかしどれも(我慢することも)苦しみを生む反応であり、正しいとはいえないのです。
まず怒りに気づく
怒りを感じたら、まずその「ムッとした」のに気づくことが基本です。
「と言葉」を活用し「…と、私は怒りを感じている」と心の中で言葉にしましょう。
このとき「でも怒っちゃだめだ」といった判断をせず、その怒りを意識的にただ観察するのです。
過去の記憶にムカついている状況であれば「記憶そのもの」と「今の反応」をしっかり区別しましょう。
そして「記憶はただの妄想にすぎない」と強く心がけることです。
心を半分に分ける
怒りの反応が生まれる瞬間を「観察する」ことができれば、それだけでもかなり怒りがおさまるはずです。
自分自身の心を、現実や記憶に向き合う部分と、それらへの反応を観察する部分の2つに分けることは可能です。
はじめは難しいかもしれませんが、練習によって上達するので精進していきましょう。
張り合う原因は承認欲求
人と意見がぶつかったとき「張り合う」という反応が出てくることもあります。
「いやいや俺が正しい」と主張したり、相手を説得しようとしたり、上から目線になったり。
直接相手に言わないとしても、心の中で「張り合う」反応をしていることは多いと思います。
これらの反応も「慢」であり、承認欲求がもととなっています。
自分と相手の慢どうしがぶつかりあっているのです。
「つつしみ」とは正しい理解
お互いの慢で張り合ったところで、良い結果になることはありません。
自分が正しいことが証明されたとしても、相手にモヤモヤがずっと残るかもしれません。
ここで仏教が教える対策は「つつしみ」です。
自分はエラい、自分こそが正しいという思いを膨らませず「小さく、小さく」を心がけるのです。
謙虚さや卑屈さなどと混同しないようにしてください。
つつしみとは「自分はまだまだ」「自分のほうが下」と判断するのではなく、ただ理解することです。
しっかり理解しているから、張り合う必要もないし、正しさをアピールする必要もないのだという発想です。
判断の二重構造
人は承認欲求によって、自分に都合のいい判断・妄想を作り上げていきます。
肩書や学歴、財産などの価値をすごく高く見積もったり、もしくは根拠なく自分はすごいのだと思い込んだりしています。
実体のない判断と妄想で、自分を等身大以上の人間だと錯覚するのです。
何かを判断し、さらに「自分のこの判断は正しい」と判断するという、二重構造になっています。
自分の承認欲求を認め、妄想だと気づけば、「これは判断にすぎないから正しいかどうかはわからない」という正しい理解ができます。
正しい理解で人生を快適に
自分自身を冷静に振り返ると、誰でも決してパーフェクトではないし、たいしたことないことに気づくはず。
この「たいしたことない」は否定的判断ではなく、妄想を取り除いた「正しい理解」です。
自分自身を正しく理解しようと心がけていれば、不必要に判断することもなくなり、他人の動向も気にならなくなります。
これまでよりもはるかに快適な人生を過ごせるようになるのです。
【記事10に続く】
草薙龍瞬著『これも修行のうち。実践!あらゆる悩みに反応しない生活』
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