反応しない練習の実践編『これも修行のうち。』
前回の記事からの続きです。
今回も引き続き、感情のプチ修行を紹介していきます。
相手のことでも自分自身についても、理解することがとても大切です。
沈黙が最高の言葉になることも
グチや悪口や批判は良くない、というのが仏教の伝統的な考えです。
なぜなのかをもう少し掘り下げると、批判的な言葉を発することで、自分の心に怒りや慢(プライド)などが増えていくからです。
なので沈黙こそがいちばん正しいという考え方もできるということ。
家族で過ごしている人でも、たとえば夜の1時間はお互いに会話をしない「沈黙タイム」を作りましょう。
そのあいだは本を読んだりヘッドホンで音楽を聴いたりと、自分の好きなことをしていてかまいません。
この沈黙タイムが相手を尊重する心、正しく理解する心を育てます。
正しいグチと間違ったグチ
誰かにグチをこぼしてもいいのですが、いくつかの条件を守ることです。
まず、グチることで自身の怒りが増幅するなら、黙っているほうが正解。
怒りが解消されるのなら正しいグチのこぼし方だったということ(これは紙に書き出す場合などでも同じだと思います)。
動機が自身の承認欲からくる場合だと、グチによって自分は正しいという思いが強まってしまうかもしれません。
たた、話した内容にまた自分で反応して、怒りが増幅する場合も、グチのこぼし方が間違っているということです。
理解されると心は落ち着く
もうひとつ大切なのが、ただ理解に徹してくれる相手かどうか。
グチった際、相手が余計なアドバイスをしてきたり、上から目線な感じで励ましてきたら「そんなの求めてない」と思うはず。
(自分が誰かのグチを聞くときも気をつけなければいけません)
誰かと関わる際は「自分の気持ちを理解してもらえるだけでありがたい」という発想を持ちましょう。
伝えるための工夫は必要だけれど、最終的に理解するかは相手の領域と割り切るのです。
他人と関わると感情がザワつくものですが、理解されたと思えればその感情は収まるようになっています。
自分自身を理解する
お互いのことを理解する大切さを話してきたものの、仏教的にはまず「自分を理解しよう」ということになります。
人には誰かから理解されたい、認められたいという思いがあり、満たされないと孤独や淋しさを感じます。
でも理解されるかどうかはどこまでも他人の領域であり、自分で選ぶことはできません。
なので、自分自身が誰よりも自分のことを理解しているかが大切です。
自分がどんな心の状態か、どんな動機を持っているかを知り、自分を肯定することに努めましょう。
快の感情を増やしていく
ここまで不快な感情の扱い方を学んできましたが、ここからは快の感情がテーマになります。
快の感情は以下の4つに分けることができます。
- 欲求が満たされる
- 不快な感情から解放される
- 感覚・思考・意欲のどれかに快を感じる
- 相手の喜びに共感する
仏教ではこれらのうち2〜4の快を重視しています。
記事02・03・04で紹介した「感覚のプチ修行」はどれも不快感からの解放に役立ちます。
ここから快を感じるコツや、喜びに共感する方法を学んでいきましょう。
意識には総量がある
快を感じる最大のコツは、意外にも「集中すること」つまり対象に意識を注ぐことです。
ではどうすれば集中力が身につくのか。
そのためには、意識を余計なものごとに使わない、かつ意識を注ぎ続けることがポイントです。
集中の方向を定め、集中のレベルを継続させるということ。
意識には総量があり、各々の反応に意識を割り振っているのだと考えてください。
すると、限りある資源をどこに使うかが大切になってきます。
怒りなどネガティブな反応に意識を使い続けるのはもったいないことなのです。
意識の浪費になるべく早く気づき、節約し、快の反応や幸せなことに割り振るようにしましょう。
集中力を鍛える食べ方
意識がひとつのものごとに流れ続ける状態が「集中」であり「快」の状態です。
このことを心理学では「フロー状態」と呼んでいます。
集中力を高めるための練習のひとつが、特定の感覚に意識を注入するというものです。
たとえば何かを食べているとき、その味覚に注意を向け続ける。
目を閉じたまま、食べ物の味をじっと見つめる要領です。
積極的に喜びを見つける
感覚に集中する練習をしたら、次のステップとして感情に集中する練習をします。
自分から快を見つけ、それに意識を集中するという、要は「感動する」ということです。
自分の好きなものを対象に、その「好き」を見つめる練習をしていけば、何事にも楽しむのがうまくなっていくはずです。
【記事07に続く】
草薙龍瞬著『これも修行のうち。実践!あらゆる悩みに反応しない生活』
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