『これも修行のうち。』要約#05 自分の中の怒りを数値化する

瞑想

反応しない練習の実践編『これも修行のうち。

前回の記事からの続きです。

今回はまず、今ある怒りを少しずつフェードアウトしておく方法を学んでいきます。

カギは「それ以上に反応しないこと」です。

自分の中の怒りを数値化する

心の中に怒りがあると気づいたら、その怒りをありのままに見ることから始めましょう。

まず目を閉じて、そこに広がる暗闇の空間を見つめます。

その暗闇の中には身体の感覚があり、浮かんでは消える妄想があります。

そこで「怒り」を意識し、暗闇に占める怒りの割合を0~100パーセントの数値で示してください。

たとえばちょっとイライラしてるなら20パーセント、めっちゃ腹立ってるなら80パーセントという具合です。

ちなみに心の領域は想像以上に広く、自分が怒り100パーセントと思っていても実際は3割くらいらしい。

とにかく自分の意識を使って割合を表現することが大切です。

数値を減らしていくと怒りも減る

次の練習は、その自分で表現した怒りの割合を減らしていくというもの。

たとえば「怒り70パーセント」と言葉にした場合、次は「60パーセント」と言います。

60、50、40、と口にして、その数値に合わせて実際に怒りが減っていく想像をするのです。

最終的に怒りがゼロの状態を想像するのですが、「思い出す」と言った表現のほうがしっくりくるかもしれません。

思考の力を使って怒りのない状態を再現できるのだと知りましょう。

心の底にはニュートラルな意識が流れている

現状が怒ってばかりで、過去に怒りのなかった時代があったことさえ忘れているかもしれません。

しかし人間の本質はニュートラルな、きれいな意識。

幼い頃は、誰でも怒りの限りなく少ない、ニュートラルな心境だったはずです。

その心境を思い出すことができるし、怒りなどの感情がある現在でも、心の底にきれいな意識が流れていると知りましょう。

そもそも人はなぜ怒るのか

心を正しく理解すれば、怒りや不満自体を抱きにくくなります。

心が反応する仕組みを知り尽くしていれば、怒りが湧いた瞬間に気づくことができるということ。

気づいてしまえば、火に油を注ぐようなことにならないので、極端な話、怒りが存在しない状態になるのです。

そもそも、人が「つい」怒ってしまうのには理由がいくつかあります。

ひとつは、性格的に怒りっぽくて、怒るという反応に慣れてしまっているから。

次に、怒ることで元気が出ると思っているから。

確かに怒ることで反応のエネルギーが発生するのですが、そのエネルギーで人はかなり疲れてしまいます。

(比べてニュートラルな状態からくるエネルギーは疲れない)

もうひとつの理由は、怒ることで自分を正当化できるから。

怒って相手を否定すれば、そのぶん自分が正しいと思えるというように、承認欲を満たすために怒るのです。

これらのように「つい」という言葉の裏にはいろんな事情があるわけです。

お役に立てればよし

いくら事情があるとはいえ、怒りそのものは不快な感情だし、怒りを他人に向ければその人との関係も悪化します。

仏教では怒りそのものの根っこを断つために「動機を入れ替える」という発想があります。

そのひとつが「お役に立てればよし」と考えること。

最初の心がけとして「他人の役に立つ・貢献する」という動機を置くのです。

人から賞賛されること、目立つこと、プライドを守ることを優先するのではありません。

これだと意識を「欲」や「慢」に使っていることになります。

ではなく、意識をまず「慈しみ」と「喜(人の喜びを願うこと)」に使うということ。

相手の幸せを自分の幸せのように思う、この心の使い方はとても合理的なものです。

みんな大変なんだよな

もうひとつ、人と向き合った最初に「悲の心」から入るのも大切です。

これは相手の悲しみ・苦しみに共感する心がけのこと。

まず「相手も大変なんだよな」と感じ取るところから始めるのです。

そうすることで心に余裕が生まれ、お互いにとって最善の方法は何か、などを考える方向に意識が向くはず。

まずは道行く人々を見て「みんな大変なんだろうな」と思うことで悲の心は育ちます。

ちなみに、あえて関西弁を使ってみるなど、普段とは違う言葉遣いでやってみるという方法もあります。

「あんたも大変やな」とか言ってみると逆に心の抵抗が減るのです。

記事06に続く

草薙龍瞬著『これも修行のうち。実践!あらゆる悩みに反応しない生活

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