『超訳般若心経』まとめ・要約その4

瞑想

境野勝悟著『超訳 般若心経』。

前回の記事からの続きです。

ここまで書いてきて思うのは、この本は般若心経の訳というよりも、般若心経の言葉に照らし合わせて、著者が自分の体験にもとづいた考えを書いているといったほうがいい内容です。

それにしても内容自体はかなり良くて、いろいろと気付かされます。

以無所得故、菩提薩埵

自分の生命活動を続けるための力というのは、自分が努力して得たもの、所得したものではありません。

大自然に生かされているということに気づくのが「無所得」です。

その気づきが菩提薩埵(ぼだいさった)につながります。

「菩提」とは我欲の迷いから目をさますこと。

「薩埵」は他人を愛し、思いやることで我欲を少しずつ消していくことです。

ちなみにこれらの言葉を合わせて「菩薩」といいます。

心無罣礙

「心を大切に」という言葉じゃ足りないくらいに、心はすごい働きをするものです。

天地自然というものは、言葉を使わずに般若の知恵を教えています。

日本の民族は古来から自然を愛し、自然に親しんできましたが、現代になって自然から離れることで、不安と危機がせまってきました。

無有恐怖

「おそろしい」と自分で思い込んでしまうと、その恐怖から逃げられなくなります。

現実をしっかりと見れば、そんなに怖れることもなかったというのがほとんどです。

静かにものを見通す力を育てましょう。

遠離一切顛倒無想

自分にまとわりついていた一切のものが離れていく感覚。

静かに坐禅、瞑想を続けていればそのような境地に達することもあります。

自分は自分のままでいい、と心から思うことで、凝り固まった観念から抜け出すことができます。

価値観がひっくり返るような瞬間がチャンスです。

究竟涅槃

「あれはいい、これは悪い」といった判断の材料は、頭の中に積み上げられた記憶です。

判断をやめて記憶を解放してしまえば、人生の見方もガラッと変わります。

例えばお金なんかもあればある、なければないで別にいいと思えるようになります。

この究極に自由な生き方が涅槃(完全なる幸福)です。

三世諸仏

般若の世界では過去・現在・未来の「三世」は「空」です。

人は今ここでしか生きられません。

過去は記憶だし、未来は想像なので実際には存在していないのです。

現在を生きていることに感謝しましょう。

また般若の世界では諸々の仏も「空」です。

これは仏を否定しているわけではなく、僕たち自身が仏だということ。

今を安らかに生きる僕たちの生命が仏なのです。

依般若波羅蜜多故

般若波羅蜜多というのは悩みを解いて脱する力、解脱の力といえます。

誰もが平等にもっているこの潜在能力をうまく発揮できれば、あらゆる悩みが消えます。

解脱の力を引き出すためには、まずは坐禅が効果的です。

肩の力を抜き、下腹にやや力を入れ、姿勢を整えて呼吸をする、古代インドから伝わる方法です。

坐禅は足が痛いし時間もない、という人は「真言」を唱えればいいのです。

そもそも坐禅をする人でもしない人でもことごとく救われるというのが本来の仏教です。

自力と他力

また、坐禅をくんでいるときにピシャッと叩かれる「警策」は、自分の中の「不動心」を発見するためのチャンスでもあります。

姿勢が崩れているとか雑念が多いときだけに叩かれるわけではありません。

仏教修行の目的は「安らぎ」を得ること。

自分で坐禅をするなど努力するのを「自力」というなら、心の中のエネルギーを仏さまにお願いして引き出してもらうのが「他力」。

安らぎを得られるのであれば、自力でも他力でもどちらでも大丈夫です。

他力の場合に重大な力を発揮するのが真言です。

次の記事に続く

境野勝悟著『超訳 般若心経

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