境野勝悟著『超訳 般若心経』。
前回の記事からの続きです。このペースだと5〜6記事になる見込みです。
般若心経について、かじった程度の知識を持つ人にとってかなり参考になる本です。
キンドルアンリミテッドで読めるので気軽に手に取ってみてください。
舎利子(しゃりし)
たいていの解説書には、舎利子とは仏弟子のシャーリプトラ(サーリプッタ尊者)のことだよ、と書かれていますが本書では彼には触れていません。
お寿司のご飯を銀シャリというのもこの舎利からきていて、釈迦の遺骨をさす言葉です。
舎利、いわゆる骨組みが自分の活動を影で支えていることを忘れないでね、ということ。
その気づきが般若の知恵です。
色不異空、空不異色
禅問答では「鐘の音をパッと止めてみろ」などといった理屈に合わないことを言われます。
色を人間と置き換え、空を仏と置き換えて、「人間は仏と同じだ」という一見理屈に合わないことを、安らかな心で受け入れられるかどうか。
「ある」も「ない」も同じだし、ひっくり返してもやはり同じだという矛盾めいたことを言っているわけです。
ここで別次元から考えて、例えば「宇宙にはあるもないも含まれる」というふうに受け入れるのが般若の知恵です。
色即是空、空即是色
続いて有名なこれらの言葉が続きます。
「色はすなわち空である、空はすなわち色である」
差別や区別はないんだと、般若心経では繰り返し叫びます。
「いい人は悪い人です」と言っているようなものです。
これは自分が「判断」をしていることに気づこうということでもあります。
いい人も悪い人も、自分の見方次第で良くも悪くもなるのです。
受想行識、亦復如是
「受即是空」とは、好き嫌いの感情は永遠・絶対ではないということ。
そのときだけのかりそめの思いであることをしっかり観察しましょう。
「想即是空」とは、人が心に思い浮かべることは、その人その時によって違うものだということです。
だから何を言われても気にしないように。
「行即是空」、人の行動のしかたに固定したものはありません。
自分の行動パターンこそが正しいと誤解すると、自分が苦しくなります。
「識即是空」、外から入ってくる情報というのはうつろなものなので、影響されないように。
あるがままに生きればいいのです。
是諸法空相
僕たち人間が、何かを見たり触ったりした時、心が反応して働きます。
その時の感じる心を「諸法」といい、それは個人の考えではなくて、肉体をもつ生物である以上は自然に発生するものです。
自然の働きに良いも悪いもありません。
不生不滅
自分が生まれたときに「生まれた」と思った人はいるでしょうか。
宇宙のエネルギー、般若知はいろいろな生命を育てていますが、そこに良い悪いの分別の心は生じていません。
科学者の村上和雄氏はすべての源としてサムシング・グレートという表現をしています。
僕たちの魂は死んだらサムシング・グレートにかえり、再び人間として地球上で生きることになる。
これがいわゆる輪廻転生で、般若心経でいう「不滅」です。
不垢不浄
般若の心は「利他」の心であり、他人を思いやることで心の垢は消えていきます。
また般若の知恵には清らかではないもの、不浄なものも受け入れるスケールの大きさがあります。
もちろん汚れているほうがいいと言っているわけではありません。
不増不減
「不増」には何も増やす必要はなく、このままで十分だという知恵が込められています。
知識を詰めこまなくても、お金を溜めこまなくても大丈夫です。
ありのままの自分を見つめ、自由に暮らしていれば、必要な知恵や財はあとからついてきます。
「不減」は「自分の命や愛をムダにすり減らさないように」ということです。
是故空中
「空中」とは大自然の生命活動のこと。
生じないし滅しない、汚れてもいないし清くもない、そんな動きが「空中」です。
あるがままで何事にもこだわらないということです。
無色、無受想行識
「無色、無受、無想、無行、無識」をひっくるめた言葉です。
「無」というのはただの「ない」ではなく、「あるとかないとかにこだわらない」状態をいっています。
「色」はここでは身体的な生命活動を指し、「無色」つまり理屈に執着せず心臓が動いたり呼吸をしたりしている状態に気づきましょうということ。
「受」は例えば仏像を見たときに「ありがたい」と感じたりする心。
禅では「仏に逢ったら仏を殺せ」と言葉がありますが、仏様をやみくもに崇拝せず、自分自身の生命の尊さに気づきなさいということです。
「無受」にはそんな意味が込められています。
「無想」は、自分の想像通り、思考通りに物事は進んだりしないから、とらわれないようにということ。
「無行」も、他人が自分の期待通りに動くはずがないから、むやみにコントロールしようとせず、あるがままに任せましょうということです。
「識」は自分の中の記憶が蓄積されてできた固定観念や常識など。
自分が当たり前だと思っていることも時代や状況によっては全然当たり前じゃないから、過信せず「無識」でいましょう。
(次の記事に続く)
境野勝悟著『超訳 般若心経』
コメント