『頭をからっぽにするレッスン』要約#05 馬を少しずつ飼い慣らすように

瞑想

10分間瞑想とマインドフルネスの本『頭をからっぽにするレッスン

前回の記事からの続きです。

導師から重要なことを教わった著者プディコム氏は、別の僧院に拠点を移して修行を続けます。

そこは、これまでよりも座って瞑想する時間が少ない分、日々の生活でマインドフルネスを実践することを重視していました。

考えが考えを生む悪循環

瞑想の合間に挟まる作業や、僧仲間との他愛もない会話などにより、以前よりも心のざわつくことが増えたと感じるプディコム氏。

心のざわつきに抵抗しようとすることで、よけいな考えが生まれるという悪循環におちいってしまいます。

ただし幸いなことに、この僧院にも経験豊かな導師がいて、相談する機会に恵まれました。

導師は、心を野生の馬にたとえて説明を始めます。

馬を少しずつ飼い慣らすように

野生の馬は自由に走り回るのに慣れているため、飼い慣らすうえでいきなり一箇所にとどめようと思っても無理です。

心も同じで、急に座って体の姿勢を整えてじっとさせると、よけいにざわついたりします。

野生の馬を飼い慣らす際はまず、つながれていると感じないくらい十分な長さのあるロープで馬をつなぎます。

そして、馬が気づかないくらいほんの少しずつ、ロープをたぐりよせていくのです。

つまり、瞑想に集中しようとする前に、心を自由にさせる余地をまず与えるということ。

そしてロープを短くしていき、抵抗を感じたら少しゆるめては繰り返すという要領です。

抵抗すると更にとらわれる

プディコム氏は導師からのアドバイスのおかげで、再び心の落ち着きを取り戻していきました。

とはいえやはり強い感情や肉体的な不快感を感じたときには、それにとらわれてしまいます。

幸福感などはできるだけ長くとどめておきたいのに対し、不快感はすぐに消そうと抵抗するものの逆効果でした。

快い感情に執着し、追いかければ追いかけるほど遠ざかっていくように感じます。

同時に、不快感を取り除こうとするほどに、とどまり続けます。

どちらも、抵抗をやめて受け入れることで安らかな心が得られるのです。

執着を捨てる、抵抗しないための方法が「もっと意識する」ことです。

心地よさは分け合い、不快さは受け持つ

意識を磨いていくためには、これまで通り呼吸を数え、心を落ち着ける練習を続けること。

それに加えて助けになるのが「瞑想中に体験した心地よい感覚を、ほかの人と分け合う」という想像です。

さらに「体験する不快さは、大切な人の代わりに自分が感じている」と想像してください。

これらは奇妙に感じるかもしれませんが、心とのとても上手なつきあい方です。

「心地よさにはしがみつき、不快感は取り除こうとする」普通の反応と、あえて正反対のことをすることで抵抗がなくなるのです。

そして、誰かのためになることをしているんだと考えるだけで、あらゆることが楽に感じられるようになります。

心地よさと不快感に集中する

心地よさ、不快感に集中する、2分間のエクササイズを以下にまとめます。

  • 軽く目を閉じ、体の感覚に集中する
  • どこか心地よい感覚があったら、その感覚を他人と分け合うイメージをする
  • 不快な感覚があったら、それを大切な人の代わりに引き受けているというイメージをする

そうすることで、瞑想体験がガラッと変わるかもしれません。

押し込めた感情は、別の形で影響する

プディコム氏が僧になる前、立て続けに不幸な体験をしたそうです。

自分の身内が友人が亡くなるといったことが連続して起きたものの、悲しみと向き合わずに彼は進み続けたとのこと。

しかし押し込めた感情は、しばらくしてから別の形で顔を出すことになります。

何か行動に影響が出ることもあれば、肉体的な健康に影響を及ぼすこともあるのです。

喜びと悲しみは表裏一体

僧として修行を始めた当初、彼は悲しみの感情が表面に出て、悩まされるようになります。

導師に相談すると「二度と悲しみを味わわずにすむ方法を教えるといったら、聞きたいか?」というので「もちろんです」と返事。

「だが、二度と笑うこともできなくなるよ」と導師は真顔で言うわけです。

つまり、喜びと悲しみはコインの裏表のようにセットになっているということ。

そして真の幸福とは、どんな感情が湧いてきても、心地よくいられる能力のことなのです。

人によって幸せを感じやすいとか、落ち込みやすいという傾向はあるものの、大切なのはそれら感情の下にあるものです。

悲しみという感情そのものと、その悲しみに反応する思考を分けてください。

感情の場所を特定していく

導師からアドバイスを受けたプディコム氏は、悲しみをどこで感じているのかを見つけようと試みました。

悲しみはとらえどころのない感情ですが、体の中に確かに存在しているという感覚を得ることができました。

ただ、悲しみを見つけたと思ったら別の場所に移ってしまうように思えます。

「耳やつま先でも感じるか?」と導師にからかわれますが、それによって胸や横隔膜など、感じる部分を絞り込めるようになっていきました。

そして、感情の大きさや形など、もっと具体的に特定していくように言われるのでした。

記事06に続く

アンディ・プディコム著『頭をからっぽにするレッスン

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