反応しない練習の実践編『これも修行のうち。』
前回の記事からの続きです。
心というのは、おおもとの意識エネルギーと呼べるものが「感覚・感情・思考・意欲」に分かれる仕組みになっています。
これを理解していれば、これまでに紹介してきたプチ修行の数々が持つ意味や、もたらす効能に深く納得できるはずです。
本書の内容も残りは2割くらいなので、もう数記事分だけお付き合いください。
意欲をメインテーマにしつつ、これまでを包括するような内容になっています。
役に立てばいいと考える
たとえば何かするにしても「これに本当にやりがいを感じるか」「自分に合っているのかどうか」などと考えすぎてしまう人がいます。
ここで、発想として持っていてほしいのは「役割を果たせるかどうか」です。
なのでひとまずは「自分が相手の役に立てるのだから、とりあえずがんばる」でも大丈夫です。
この、他人への貢献を自分のやる気にする方法として、単純に「お役に立てればそれでいい」などと言葉にすることから始めましょう。
そこから慈しみや喜の心(相手が喜んでくれると自分も嬉しい)が育っていきます。
関わらないことも大切
ただし貢献を第一にするあまり、相手に利用されて終わりにならないように気をつけましょう。
ブラック企業の中やパワハラ上司の下で、役に立つことだけ考えていたら搾取されてしまいます。
仏教では、関わるかどうかは自分で選べるという立場で考えます。
そして不条理な境遇では「自分が心を失わない」ことを重視した上で正しい意欲を保ち続けるのです。
いろんな「やる気の素」
前回の記事からまとめると、やる気の素は以下の通り。
- 妄想をうまく活かす
- 達成感や充実感を大事にする
- 誰かの役に立てればいいと考える
- 自分自身が納得する
これらのどれか1つをやる気の素として選んでもいいし、同時に全部めざしても構いません。
その時の状況に応じてやる気をうまくやりくりする練習をしていきましょう。
体を動かせば心にもエンジンがかかる
「とにかく作業から始める」というのは、やる気に火をつける方法として非常に効果的です。
朝に目覚めたときなど思考がうまく回っていない状態でも、体を動かすことで心にもエンジンがかかっていきます。
大事なのは、体のあらゆる感覚を意識するということ。
ただ歩くことにしても、足の裏にしっかりと意識を向けたり、呼吸をしっかりと感じたりと、五感をフル活用するのです。
切り替えることの大切さ
疲れたりやる気がなくなったりするのは、意識の方向が偏ってしまったために起こります。
こんなときは「心を別の領域に切り替える」という発想を持ってください。
ずっと座って作業していたなら立って歩くのもいいし、目を酷使していたなら目を閉じて音楽に集中するのもいい。
パズルやゲームをして使ってなかった脳の部分を使うのもありです。
同じことをがんばり続けるよりも、別のことをしたほうが心の流れはスムーズになるのです。
また、イラッとする場面に遭遇し、自分の感情の変化に気づいたならば、すかさず足の裏などの感覚に意識を戻しましょう。
これが上達すれば、怒りにとらわれるといったエネルギーのムダ遣いが減ります。
1日中できるだけ「体のどこかの感覚」に意識を向け続け、動じない心を育てていきましょう。
「飽き」は記憶と判断の産物
何かに「飽きた」という感じは、「これは何度もやった」「またこれか…」といった思いから生まれます。
そのことにまつわる記憶や判断の積み重ねが「飽き」を生み出しています。
人は1日に3万回近く呼吸をしているらしいですが、もしも呼吸に飽きてやめてしまったら死にますよね。
呼吸をするとき「さっきも呼吸したし」と思い出したり「次は呼吸しようかな」とか判断したりしないからこそ、自然に続けられるのです。
毎日のルーティンワークも、過去にやったことなどをいちいち思い出さず、ただの作業として淡々とやるのがベストです。
やる気を再燃させる
ところで「この道何十年のベテラン」というような、ひとつのことを継続してやっている人がいます。
そういう人々は、初心の情熱をずっと同じ勢いで燃やし続けているわけではありません。
心を要領よく使って、やる気をうまい具合に再燃させているのです。
トップアスリートなどでも最初に自分で決めたルーティンで動いたりしますよね。
これは、自分の体の感覚にいったん立ち戻り、そこから快の感情を体験し直し、「さあやるか」という意欲に火をつけていってるわけです。
どんなに大好きなことでも、当初の情熱は意外と早いサイクルで消えてしまうもの。
でも「感覚から入り直す」ということを理解してやっていれば、また意欲を再生できるのです。
【記事13に続く】
草薙龍瞬著『これも修行のうち。実践!あらゆる悩みに反応しない生活』
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