反応しない練習の実践編『これも修行のうち。』
前回の記事からの続きです。
これまで感覚、感情、思考をテーマにしてきましたが、今回からは「意欲」についてです。
意欲・やる気というのは「がんばらなきゃ」と思って出るようなものではありません。
そこで、仏教的な心の使い方を学び、前に進む練習をしていきましょう。
やる気にもいろいろある
そもそも意欲とは何なのかについて少し掘り下げてみます。
意欲にはいくつかの種類があり、ひとつは単純に欲求を満たそうとするものです。
2つ目は妄想を求める状態で、なくてもいいものを手に入れられずにはいられない心境。
3つ目は新しいこと体験したいという、チャレンジ精神または生存本能とも呼べるもの。
4つ目は気合いや根性ともいえる、やめてはいけないという思考がからむものです。
このようにやる気や意欲と一言で表現できるものでもいろんな種類があることを知っておきましょう。
うまくいかない、やる気が続かないと感じる場合は、ひとつのやる気に縛られているのかもしれません。
欲を否定する必要はない
ブッダの智慧があれば、やる気すなわち心と体を動かすエネルギーを上手に活かすことができます。
まず「欲」を否定する必要はなく、いわゆる承認欲などを原動力にしてがんばるのもOK。
ただし条件は「苦痛を感じたらいさぎよく降りること」です。
空回り感、満たされなさを感じたら「このがんばり方は正しくないのだ」と考え、いったん小休止しましょう。
妄想でやる気を出してもいい
妄想も、程度によってはやる気に活かすことができます。
憧れや夢や希望も、厳密には妄想と一種といえるのですが、これらが世界や人生を豊かにするのも事実。
これらのイメージでやる気や喜びが生まれるなら大切にすればいいし、もし苦しさを感じるなら、距離を取りましょう。
現代はネットやスマホからの情報・映像で暗い妄想が膨らみがちですが、そこで「あえて目をつむる練習」が大事になってくるのです。
15分くらいでもいいので、目を閉じて何もせずに感覚に帰ることを心がけてください。
それを続けた先に達成感はあるか
自分がしていることを続けた後に、達成感や満足感があるかどうかも大切にします。
たとえば、ただ妄想を追いかけ、欲求を満たしただけでは達成感は生まれません。
方向性を見いだして、努力の価値があると思ったことをやり続けることです。
「それを手に入れることに価値があるのか」と自問して、自分で納得できるかどうか。
納得できればやる気とともに努力を続けることができます。
誰かの役に立てばいい
ありがたいことに、誰かに貢献しようという気持ちは簡単にやる気を生みだします。
「働くことの意味は?」などと難しく考えなくても「誰かの役に立てばそれでいいんだ」と思えれば、人は達成感・充実感を得られるもの。
他人に貢献しようという動機から入れば、生活もできるし、意欲も湧くしでいいことずくめなのです。
【記事12に続く】
草薙龍瞬著『これも修行のうち。実践!あらゆる悩みに反応しない生活』
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