古賀史健著『文章講義』要約#03 文体とはリズムである

読書

20歳の自分に受けさせたい文章講義

前回の記事からの続きです。

これまでの記事で、本書におけるガイダンスの部分までを要約してきました。

「書こうとせずに翻訳しよう」「考えるために書こう」など、文章力の核心をつくような内容で、かなり勉強になります。

今回からは文章のリズムなどがテーマとなります。

(自分のブログ記事のリズムが、読者にどのくらい受け入れられているのかわからないけれど、あまり気にせず書いていきます)

文体とはリズムである

文章を語るとき「文体」という言葉がよく登場するものの、文体というものは考えるほどに正体不明です。

文体は大きく以下の2つの要素で決まる、といわれています。

  • 文章の語尾を「です・ます調」と「だ・である調」とで使い分ける
  • 「私」「僕」「筆者」といった主語を使い分ける

確かに僕もブログ記事を「です・ます調」で統一しているけれど、これを「だ・である」にしたり、もしくは主語を「俺」に変えたりしたら、だいぶ印象が変わると思います。

しかし文体の本質はそこではなく、著者は「文体とはリズムである」と断言します。

そもそもリズムとは何なのかという話になりますが、著者のいうリズムは、句読点の打ち方や改行のタイミングなどではありません。

そしてリズムとは僕たちが思っているほど感覚的なものではなく、どこまでも論理的なものなのです。

文章のリズムは論理展開で決まる

文章術の指南書には「文章を書くときにはリズムを大切にしましょう」とだけ書かれてそれで終わりのものがほとんどです。

教えてほしいのは心構えではなく「どうすればリズムが出るのか?」という具体策です。

リズムの悪い文章とは「読みにくい文章」のこと。

間違ったことがことが書かれているわけではないのに、すらすら読めず、なんとなく違和感や引っかかりを感じる文章を見たことがあると思います。

そういう文章が読みにくい理由は、文章どうしの「つなげ方」や「展開の仕方」がおかしいからです。

文章のリズムは「論理展開」によって決まるのです。

テンやマルを打つ場所や、改行のタイミングなどは、文章のリズムの本質ではありません。

ノンバーバルな部分を文章で補強する

例えば日常会話のなかでは、僕たちは論理をそれほど重要視していません。

ふだんの会話を録音して、そのまま文字だけを取り出すと、びっくりするほどデタラメだったりします。

なぜなら言葉以外の要素、つまり顔の表情、声のテンポ、身振り手振りなどによる影響のほうが大きいからです。

文章を書くときはこれらの武器が使えないので、作文の授業などでよく言われる「話すように書きなさい」がいかにいい加減なアドバイスなのかがわかると思います。

会話内容を文字に起こしても、声や表情などで伝えていた情報は抜け落ちているので、その抜け落ちた部分を文章で補強する必要があります。

つまり「話し言葉」から「書き言葉」への翻訳が必要なのです。

自然発生した絵文字・顔文字

「じゃあ神業のような指さばきで、膨大な量のメッセージをスマホでやりとりする女子高生たちは、作文能力が高いの?」

という疑問がわく人もいるかもしれませんが、ここで重要なのが「絵文字・顔文字」の存在です。

女子高生たちは、これら感情を表す記号を使いこなすことで、話すように書いているわけです。

メールでなくとも語尾に(笑)とか、wをつけたりするなど、女子高生に関わらず誰もが記号に頼ってコミュニケーションをとっているのです。

しかし感情表現の記号が便利だからといって、そればかりに頼っているわけにもいきません。

僕は語尾に(笑)ばかりついている文章を見て、読む気が失せてしまったことがあります(笑)

接続詞をたくさん使ったほうがいい

ライターとしての著者は文章の論理破綻を防ぐために「接続詞」を使うことを進めています。

例えば「大盛りのカツカレーを食べました」と「おなかが空いています」を「だから」でつなげると支離滅裂になります。

この場合「しかし」や「ところが」といった接続詞でつなげれば、文章として成り立つのです。

なので、接続詞を意識するだけで文章の論理は破綻しにくくなります。

「接続詞の多用はウザいから避けるべき」などという言説に惑わされてはいけません。

記事04へ続く

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