古賀史健著『文章講義』要約#02 考えるために書く

読書

20歳の自分に受けさせたい文章講義

前回の記事からの続きです。

この本は、すごく面白いです。

…ではなく、何がどのように面白いのか説明できなければ話になりません。

文章力とは、頭のなかの「ぐるぐる」をうまく翻訳する技術のことです。

伝えたい事が僕にもあるんだ

文章を書こうとする時点で固まる人は、まだ「ぐるぐる」を整理できていない状態です。

自分の気持ちをうまく文章にできない人は、「ぐるぐる」を誤訳してしまっている状態です。

まず自分が「自分という人間の翻訳者なのだ」という意識を持つことが重要なのです。

ミュージシャン奥田民生氏の『CUSTOM』という曲は「伝えたい事が そりゃ僕にだってあるんだ」という一節で始まります。

曲中の「僕」は、頭のなかに駆け巡る有形無形の思いを、歌という形に「翻訳」しました。

僕たちは、誰かに何かを伝えたいから「翻訳」をします。

技術がなくても真心があれば伝わる、などという言葉を信じてはいけません。

音楽ならばリズムやメロディ、コード進行があるように、文章にも一定の知識や技術、ルールが求められるのです。

考えるために書く

例えば夏目漱石の『坊ちゃん』をただ読むだけなら「あー面白かった」でよいけれど、読書感想文を書くとなるとそうはいきません。

感想文を書くためには物語の内容、魅力、ポイントなどを自分の頭で整理・再構築し、アウトプットしていく必要があります。

「よくわかんないけど面白い」の「よくわかんない」部分に言葉を与えていきます。

答えを見つけたから書くというよりも、答えを見つけるために書くのです。

「考えてから書きなさい」というのも正しいのですが、もっと根本的なのは「考えるために書きなさい」というアドバイスです。

ただ読んだだけの本よりも、感想文まで書いた本のほうが記憶の残り方も断然ちがいます。

人に話すことで得られる「3つの再」

著者は取材したことを文章にする前に「誰かをつかまえてその内容を話す」ということを習慣にしているらしいです。

人に話すことで「再構築」「再発見」「再構築」ができます。

(著者はこれを3つの再と呼んでいます)

例えば友人との会話内容をそっくりそのまま文字にしても、話題がバラバラに散らばっていたりするので、自分の言葉で「再構築」する必要があります。

話の内容やその場の状況などを自分なりにまとめ、筋道の通ったひとつのストーリーに翻訳していくのです。

その過程で「奴が言いたかったのはこういうことだったのか!」と理解できる瞬間があるかもしれません(再発見)。

また自分が人の話を聞くとき、自分というフィルターを通して「重要だと思う情報」「そうでない情報」に分けています。

文章としてまとめる過程で、自分が話のどこにピントを合わせていたのかを「再認識」できるのです。

自分の言葉に置き換える

地図・絵・写真など「言葉ではないもの」を自分の言葉に置き換えてみることも、よい練習になります。

土地勘のない相手に、駅から自分の家までの道のりを説明する場合「駅を出てコンビニで曲がって…」などと、あいまいなことを言っても伝わりません。

できるだけ事細かに説明していく必要があるのです。

日本語学者の金田一秀穂先生は「絵や写真を言葉で説明する」ことを、ゲーム感覚でやるのを推奨しています。

ちなみに「自分を意見をいっさい入れない」ことがルールです。

安易なレトリック(美辞麗句)などを入れるほど、正確な描写から離れていってしまうのです。

これからは「書く時代」

メールやブログ、SNSなど、文章を使うコミュニケーションツールは1990年代から現代にかけて一気に増えました。

僕たちが文章を書く機会は、この先増えることはあっても減ることはありません。

文章力は、業種や職種に関係なく、生涯にわたり自分の身を助ける武器になります。

いま自分が何歳であろうと「書こうとするな、翻訳せよ」の原則を胸に、本物の文章力を手に入れていきましょう。

記事03に続く

20歳の自分に受けさせたい文章講義

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