エックハルト・トール著『ニュー・アース』。
前回の記事では10章の前半部分を要約していきました。
今回で後半、本書の最後までを要約します。
全部で22記事となりましたが、やっと完結します。
しかしながらこのニューアースという本、数ある本のなかでも内容が別格な気がします。
今までの記事を読んできて何か感じるものがあったら、ぜひとも本書のほうを手にとっていただければと思います。
意識
意識そのものは時間を超えているので、生まれもしなければ死ぬこともありません。
意識は現れた形を通じてそれ自身を表すために、何百万年も準備してしました。
形に現れない領域は別の次元とみなせますが、宇宙という形の次元と別々ではありません。
目覚めた人間を通して、形に現れていないものが気づきとしてこの次元に流れ込みます。
意識は形に現れる次元に転生すると、夢のような状態に入り、形と同一化して無意識になります。
これは聖性が物質に下降するともいえます。
人間のエゴは宇宙の夢の最終段階であり、意識の進化にとって必要なステップです。
脳が意識を生み出すというより、意識のほうが自らを表現するために脳を創造したのです。
脳が衰えたり損傷しても意識を失うわけではなく、意識がこの次元において脳を使えなくなるだけです。
目覚めた行動
僕たち人間が進化の段階の終わりに近づくほど、エゴの機能不全はひどくなります。
これは毛虫が蝶になる前、サナギになって動けないのと同じです。
現在において、地上のあちこちで(トール氏にいわせれば宇宙の各場所も含め)意識が形の夢から目覚めようとしています。
それにともなって形が解体する(死ぬ)場合も多いでしょうが、意識によっては気づきを保ったまま形を体験し続けます。
目覚めた行動とは、外部的な目的と内なる目的が調和した行動です。
外部的な目的は「何をするか」であり、内部的な目的は「目覚めること、目覚めたままでいること」です。
「何をするか」ではなく「どのようにするか」で、僕たちが運命をまっとうしているかどうかが決まります。
真の成功といえる行動は、条件づけられた無意識の思考(=エゴ)からではなく、研ぎ澄まされた観察と関心から生まれるのです。
目覚めた行動の三つのモード
僕たちが宇宙の創造的な力と調和するための行動は三種類あります。
それは「受け入れる」「楽しむ」「情熱を燃やす」の三つです。
単純なことから複雑かことまで、何かをするときは常に、これら三つうちどれかが発動しているかどうか察知しましょう。
これら三つの状態以外でやっている行動は、自分自身か他人を苦しめているはずですり
受け入れる
どうしても楽しめない行動は、少なくともこの瞬間に受け入れることはできます。
深夜にパンクしたタイヤを交換する必要がある場合などがそうです。
受け入れることで安らかな気持ちで行動でき、その安らぎが微妙な振動エネルギーとなり、行動に影響します。
楽しむことも受け入れることもできなかったら、やめてしまいましょう。
自分の意識の状態には責任をもつ必要があります。
楽しむ
受け入れることで安らぎが得られるとしたら、楽しむことで安らぎは躍動する生命感に変わります。
行動の動機が欲望から楽しみに代わります。
欲望というのは、僕たちがばらばらの存在で、創造の力とは切り離されていると妄想するエゴから生じるものだからです。
人生の焦点を、過去や未来ではなく現在の瞬間に置きましょう。
すると行動を楽しむ能力も人生の質も、劇的に増大します。
楽しく行動するための変化が起こるのを待つのではなく、いまの自分の行動を楽しみましょう。
そのほうが外部的な拡大や前向きな変化は起こりやすいのです。
楽しみというのは行動のなかにあるわけではなく、僕たちのなかの深い部分から行動に流れ込むものです。
目的のための手段としてではなく、いまこの瞬間に全身全霊を込めて行動すれば、どんなことでも楽しめます。
一つ一つの行動に気づきながらやっていれば、その状態ですることは苦しくもストレスにもならないことがわかるはずです。
長いあいだしてきた行動が目覚めた意識によって、より大きなものになっていくのです。
常人では考えられない創造力が発揮されることもあるかもしれません。
でも並外れているのは、僕たちを通してこの世界に流れ込むもののほうなのだと理解しましょう。
情熱を燃やすこと
自分がしていることに深い喜びを感じると同時に、目指す目標やビジョンの要素が加わる、それが「情熱を燃やす」です。
情熱を燃やしているときに伴う緊張感は、はたからみたらストレスに思えても、実際はそうではありません。
ストレスとは違いエネルギーの振動数が高いので、宇宙の振動数と共鳴します。
創造的なエネルギーの波を呼ぶので、僕たちはただ波に乗っていけばいいのです。
エゴが生み出す欲望とは違い、情熱に対立するものはありません。
情熱からくる活動には勝者も敗者もなく、他者をも包み込みます。
また情熱とエゴは共存できないので、一方はもう一方の不在を意味します。
僕たちは情熱を通じて宇宙の創造原理と調和します。
楽しんでいる行動に目標がうまく組み合わされば情熱が生まれますが、その目標は静的なものではいけません。
目標は何かを手に入れることではなく、ダイナミックで全体と結びつく活動そのものであるべきです。
「自分は作家だ」ではなく、「自分の作品で人々に感動やインスピレーションを与える」という感じです。
目標やビジョンが自分自身の心や感情のレベルで、すでに現実となっている必要があります。
イエスも「祈って求めるものは、何でもすでに受け取っていると信じなさい。そうすれば、その通りになる」と言っています。
新しい意識の担い手たち
エゴに支配された人たちは創造的なエネルギーが低下し、欲しいものを手に入れるために「努力」を必要とします。
意識に目覚めた人の中にも、創造的な力を存分に発揮する人もいれば、比較的受け身で波乱のない人生を過ごす人もいます。
後者のなかにはこの世界にうまくなじめないと感じ、世間からドロップアウトしてしまう人もいるかもしれません。
そういう人は最終的にヒーラーやスピリチュアルな指導者になったりもします。
現代文明にはこの人たちの居場所があまりないように思われますが、これからの時代において彼らは重要な役割を担うことになります。
この地球に新しい意識の周波数を根づかせる錨となるのです。
彼らの行動はどんなシンプルなものでも意識がこもっており、質の高いものとなります。
新しい地はユートピアではない
あらゆるユートピアのビジョンには、構造的な機能不全が横たわっています。
救済を未来に求めることで、自分の心に救済を求めることになり、エゴの罠に落ちます。
新しい地(ニュー・アース)が実現して私たちを解放するのは、未来の出来事ではなく現在のこの瞬間だけです。
「いまに在る」状態に気づくことが目覚めです。
イエスは「柔和な人は幸いである。その人は地を受け継ぐから」と言いました。
柔和な人とはエゴのない人であり、自分の本質が意識だと気づき、それを生きとし生けるすべてのもののなかに認める人です。
たったいま、地上に新しい人類が生まれようとしています。僕たちもその一人なのです。
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