エックハルト・トール著『ニュー・アース』。
前回の記事では9章を要約していきました。
今回は最後の章である10章「新しい地」の前半を要約します。
この記事と次の記事で完結となるので、もうしばらくお付き合いください。
形ではないもの
宇宙は拡大するとともに複雑性を増し、多様なものを生み出し続けています。
僕たちも一人一人が大宇宙を反映する小宇宙であり、内なる目的と外部的な目的があります。
外部的な目的は経験すること、内なる目的は本質に気づくことです。
現実とはひとつの全体ですが、思考はそれを断片化するので、どんな概念も数式も無限を説明できないということを、心に留めておいてください。
思考の限界を超えたところから見れば、すべてはいまこの瞬間に起こっています。
真実には絶対的なものと相対的なものがあり、例えば日の出と日没というのは地球から見れば真実ですが、宇宙空間から見たら太陽は昇りも沈みもせず常に輝いています。
僕たちの生命、人生というのも思考によって生み出された相対的な真実です。
あなたの生命の短い歴史
形として現れ、形のないものへ戻るという拡大と収縮の動きは、宇宙のいたるところで見られます。
僕たちの眠りと目覚めのサイクルもそうだし、誕生と死もサイクルとみなすことができます。
エゴには拡大を止めるべきところがわからず、もっと多くと求め続ける性質があります。
死が近づき肉体も衰弱し、影響力も縮小していくことに、エゴは不安やうつ状態で反応します。
各生命体の一生は、宇宙がそれ自身を経験する方法として、一つの世界を表現しています。
目覚めと回帰の運動
老齢や病気、心身の障害などで個人としての形が弱まるときに、スピリチュアルな目覚めのチャンスがあります。
意識と形の同一化を解くための機会となります。
僕たちの文明は人間のおかれた条件には無知で、スピリチュアルなことに無知であるほど苦しみは大きくなります。
現代人にとって死は抽象概念でしかないから、自分という形の解体に対する準備ができていません。
昔から、霊的な次元が開かれるのは老いや悲劇を通してでした。
霊的な次元に無知な現代文明では、「老い」という言葉は否定的な意味で使われがちです。
というのも「在ること」よりも「行うこと」にばかり価値がおかれているからです。
起こるべきでないのに起こることなど、この宇宙にはありません。
形のレベルでの喪失は本質のレベルでの獲得になります。
あらゆる形は不安定であることを直接体験すると、形を過大評価することが無くなります。
老齢などによって目覚めのチャンスは訪れ、目覚めのプロセスを体現する老人たちは輝いています。
老齢期は内なる目的に目覚める、回帰の時なのです。
目覚めと外への動き
外部的な成長はこれまではエゴの拡大に利用されてきました。
他人より多く、大きくといった概念と同一化して、自分を強化しようというのがエゴの試みです。
気づきが高まってくれば、老齢や悲劇によって自己が脅かされなくとも内なる目的に目覚めることができます。
成長と拡大のサイクルからエゴを追放すれば、外部的な活動からでも力強い霊的な次元が開かれます。
これまで人間の知性はエゴによって歪められ、誤用されてきました。
エゴの機能不全に邪魔されなければ、僕たちの知性は宇宙の知性と調和し、創造に意識的に参加できます。
このときは僕たちが創造するというより、僕たちを通して宇宙の知性が創造するといえます。
この創造には集中力が伴いますが、ストレスはないことに気づくでしょう。
エゴが強いほど、僕たちはバラバラだという意識も強くなります。
全体の善を目指して活動すれば、反発を引き起こしません。
また創造の第一義的な要素は意識であり、活動は二次的な要素にすぎません。
内なるレベルで変化がなければ、いくら行動したところで何も変化は生まれないのです。
(次の記事に続く)
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