エックハルト・トール著『ニュー・アース』。
前回の記事では第8章の6〜10節を要約しました。
今回は8章の11〜16節です。8章の終わりまでいきます。
(ながらく途中で止まっていましたが、久しぶりに本書の要約を再開します)
依存症
しみついた強迫的な行動パターンを依存症と呼びます。
気づきが欠如すると、心と頭からくる声に自分を同一化してしまいます。
強迫的な衝動が起こるのを感じたら、立ち止まって2〜3回の意識的な呼吸をしましょう。
強迫的な行動を実行に移したいという欲求を意識て感じるようにします。
結局、衝動に抵抗できず行動に移してしまったとしても問題ありません。
気づきが強まってくるにつれて依存は消えていくからです。
ただし依存の行動を正当化しようとしている考えに気づいたら、そんな主張をしているのは誰かと自問しましょう。
内なる身体への気づき
身体に出入りする空気の流れを感じ、胸とおなかのふくらみ縮みを感じることで、内なる身体にも気づけます。
思考に気をとられ、頭のなかの声に自分を同一化すると、内なる生命感を感じられません。
すると五感を過剰に刺激したり、スリルや危険をもとめたりしてしまいます。
親密な人間関係を求め、その期待は結局のところ「失望」に変わります。
そんなときこそ意識的な呼吸をして、順番に身体の各部に意識を向けましょう。
目を閉じてもいいし、この文章をを読みながらでもできると思います。
内なる空間と宇宙空間(アウタースペース)
内なる身体というのは物理的な形ではなく、それを動かしている生命そのものです。
物質が固さをもっているように見えるのは、人間の五感がつくり出した幻想です。
原子レベルで考えれば、原子と原子の空間は宇宙の惑星間のように広いものです。
肉体というのは内なる空間、インナースペースへの入り口になります。
(思考や言葉は形の世界に属しているので、このような形のないものをうまく表現することはできません)
「いまに在る」自分自身を感じ、「いまに在る」ことが自分なのだと感じられるかどうかが大切です。
内なる身体の生命感を、「大いなる存在」の喜びとして感じるのです。
そのためには「自分は身体ではない」と知っておくことです。
毎日の生活のなかで、できるだけ頻繁にこの内なる身体に気づくようにしましょう。
考えて、感じて、経験すると意識は形として生じる、これは仏教でいう輪廻です。
この輪廻から抜け出せるのはいまこの瞬間だけです。
ギャップに気づく
見聞きしたものに対してなんらかの解釈が入る前に、ただ知覚が生じる瞬間があり、それを内なる空間といいます。
それは一瞬なので多くの人は見逃してしまいます。
でもそれに気づく頻度と長さで、人生を楽しむ能力や、他人や自然とのつながりを感じる能力が決まってきます。
抽象化や概念化といったスクリーンを通して生命を認識すればするほど、周囲の世界は正気を失います。
自分自身を発見するために自分を捨てる
形あるものに自分を同一化しようという思いを捨てるたびに、内なる空間は生じます。
エゴにとっては自分を失うように感じられても、実際は逆に自分を発見することになります。
同一化のパターンを捨てるたびに、僕たちは形を超えてもっと豊かになります。
充分に目覚めていれば、無意識のパターンを自分自身のなかに発見できるはずです。
自分が正しいとか、認められたいなどと考えてしまうパターンに気づいたら、それを捨ててみて、結果を観察してみましょう。
形への同一化にこだわらなくなったら、僕たちを通じて大きな力が世界に流れ出すはずです。
静寂
静寂とは空間を表すもう一つの言葉です。
静寂に気づくとは、静かに停止していることであり、思考抜きの意識でいることです。
このとき僕たちは、深い本質的な自分自身でいることになります。
静かに停止しているとき、僕たちは無条件の、形のない永遠の意識になります。
(次の記事に続く)
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