エックハルト・トール著『ニュー・アース』。
前回の記事では7章の11〜14節を要約しました。
今回で7章の最後までを要約します。
空間のくだりを書きながら、マインドフルネスってこういうことなのかな、などと思いました。
エゴの縮小
誰かに批判されたりすると、エゴは縮んだと感じ、すぐに自分を正当化しようとします。
このとき相手が正しいか間違っているかは関係ありません。エゴの関心は、真実よりも自己保存のほうにあります。
自己保存の仕組みでありふれているのは「怒り」で、怒りには一時的だけれど強力なエゴ拡大効果があります。
エゴが縮小したときに修復しようとせず、意識的に縮んだままにしておきましょう。これは力強いスピリチュアルな実践です。
誰かに非難されたり悪口を言われたりしても、何も反応しないでおくのです。
数秒間は不快感を感じるかもしれないけれど、そのあとは生命力に満ちた広々としたスペースを感じるでしょう。
エゴが「小さくなる」ことによって、あなたは逆に拡大し、「いまに在る」状態が立ち現れる場所ができるのです。
とくにひとかどの人間になろうとか目立とうと思わないでいれば、あなたは宇宙の力と自分を調和させることができます。
山であろうとするよりも「天下の深い谷間であれ」と老子は教えています。そうすれば全体性を回復することができます。
自己意識を強化しようとして自分を見せびらかしたり、目立とうとしたり、特別な存在であろうとしないことです。
外も内も
宇宙は物質と空間でできています。
宇宙空間を見上げて、無数の世界が存在する空間の広大さに気づくと、あなたの内側も静謐になっているでしょう。
空間は見ることも聞くことも触れることもできないのに、なぜ空間が存在するとわかるのでしょうか。
空間の本質は何もないこと、無だから、ふつうの言葉の意味では「存在」していません。
あなたのなかに空間と親和性をもつ何かがあるから、空間に気づけます。
空間に気づくとき、あなたは何も気づいていないけれど、「気づき」それ自体に気づいています。
あなたは空間のとてつもない深さを、自分の深さとして感じ取ります。形のない「静寂」のほうが、あなたの人生をつくっている「中身」よりもはるかに自分自身だと知るのです。
古代インドの聖典ウパニシャッドでは、神は形のない意識で、あなたの本質であると述べています。
あなたが見て、聞いて、感じて、触れて、考えることはすべて、現実の半面でしかありません。
空間がなければモノは存在せず、静寂がなければ音もありえせん。
同じようにあなたも、大切な本質である「形のない側面」なしには存在できないはずです。
これを「神」または「大いなる存在(Being)」と呼びます。
事物の存在は生命の前景にあたり、大いなる存在はいわば生命の背景にあたります。
人は人生の中身にばかり夢中になっていて、中身や形、思考を超えた本質を忘れているのです。
以下は著者トール氏が中国の仏舎利塔に行ったときの話です。
塔に彫ってあった「佛」という文字の意味を中国人の友人に尋ねたところ、ブッダという意味ですよ、という答えが返ってきました。
さらになぜ二つの部分からなっえいるかを聞いたら、
「一つはニンベンで『人間』を表し、そしてもう片方は『あらず』つまり否定を意味します」
つまりブッダを表す漢字にはすでにブッダの教えそのものが含まれているのです。
ここには現実をつくりあげる二つの側面、思考と無思考が、形と形の否定が、そしてあなたは形ではないという認識が記されているのです。
(次の記事に続く)
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