前回の記事からの続きです。
生きている以上はどうしても心が動揺してしまうもの。
不本意な出来事が起きてしまった場合などにおいて、そこから心を立て直す方法を仏教から学んでいきます。
後悔=怒り+妄想
まず「後悔」について、その正体はあまり知られておらず、辞書を引いても「過去の失敗について悔やむこと」程度の説明しかありません。
ブディズムでは言葉の裏にある反応を見るので、「後悔」は記憶に対する怒りと、そこから派生する妄想であることが理解できます。
なので、後悔を抜けるためには怒りを消すか、もしくは妄想を消すかの選択肢があるわけです。
怒りや妄想といった反応を消すための基本はサティ、つまりそれらがあると気づくことです。
気づくことのほかに「考え方を工夫する」ことによる解消も可能です。
「過去に怒っても仕方ない。それは今となっては妄想で、もはや存在しない」といった考え方をしてみてください。
結果的に過去を思い出さなくなったり、思い出したとしても怒りなどが出なくなれば、後悔を卒業したことになります。
怒りか妄想を消せば後悔も消える
もちろん実際に過去を悔やんでいる人にとっては、このような説明を聞いても「そんな単純なものじゃないし!」と言い返したくなるでしょう。
それでも「怒りを消す、または妄想を消す」が正解であることは否定できません。
なので、あとは消すための努力に踏み出すかどうかであり、うまくいくかは著者草薙さんが自身の体験で証明しています。
多くの人はこの怒りと妄想の堂々巡り(=後悔)から抜け出せない、もしくは自分から選んでいます。
でも、怒りと妄想に閉じこもるのと、それらを吹っ切ってクリーンな心で過ごすのと、どちらが心地いいかは明らかですね。
未練=妄想+欲求
過去をめぐる悩みには「未練」というものもあります。
未練には過去に対する願い(欲求)が残っている状態であり、妄想と欲求を混ぜたものだといえます。
なので後悔と同様に「妄想を消す」作業が必要になってくるものの、未練には「まだ願いは叶うかも」という可能性が、良くも悪くも残っているわけです。
そこでまず、願い(欲求)が残っていると理解し、次のステップとして「正しい思考」を使います。
正しい思考とは、ここでは「方向性を確かめ、方法を考える」ということ。
あくまでも「今からできる方法」を考えることが大事であり、この習慣がつけば過去を引きずることが格段に減るはずです。
具体的な作業として落とし込む
今からできる方法を「作業ベースで考える」ことが大切です。たとえば、やることを集め、手順を決め、そして専念する。
方法の集め方としては本を読んだり、経験者に話を聞いたり。
手順を決めるのには多くの人が頭の中だけで妄想しがちですが、ノートを用意して書き出したほうが心の整理に効きます。
このように、具体的な方法とセットになることで方向性が妄想ではないものになっていきます。
一冊の本から学ぶ場合でも、まず「読み方」を決めます。重要な部分を記憶したいのなら「その部分を抜き書きして、文節で区切って音読して…」と、できるだけ細かい作業として確立させましょう。
「この手順でやれば、必ず結果が出る」と自分で思えるレベルまで具体化できたら、あとは集中あるのみです。
(ちなみに草薙さんがこの姿勢で修行に取り組んだことで、本書や『反応しない練習』といった素晴らしい書籍として形になっています)
期限切れとなった願いに執着しない
願いに対して今からできる方法を見出せなかったり、方法が見えてももはや行動に移せないという状況だったりするかもしれません。
そんな場合は「この願いは自分にとって期限切れなんだ」と考えるときのはずです。
今生きているならその願いは「なくても生きていける」ものなので、もう卒業していいのだと考えましょう。
なかなか卒業できず執着してしまうのは、承認欲があるからです。でもきっかけは親に褒められたかった幼少期の記憶にすぎないかもしれません。
今となっては「なくていいものを」を「なくてはならないもの」と勘違いし、心が渇いたままの人はたくさんいます。
しかしその心の正体は「無駄な反応の集合体」にすぎず、実体はないのです。
願いへの執着を手放すことで、今後がもっと自由になり、可能性がうまれます。
【記事10に続く】
草薙龍瞬著『こころを洗う技術 思考がクリアになれば人生は思いのまま』
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