前回の記事からの続きです。
引き続き「読者の椅子に座る」がテーマです。
今回は「特定のあの人」に向けて書くことの大切さについて説明していきます。
書き手の多くが、多数派に向けて書こうとするあまりに、誰のための文章なのかわからなくなってしまいがちです。
架空の人間でもかまわないので、具体的な誰かに読ませることを想定したほうが、むしろ「その他の人々」に届きやすくなるのです。
「多数派の罠」にハマらないように
この文章を含め、読む人を一括りに「読者」とまとめるのは危険な考え方です。
なぜなら読者は老若男女さまざまで、10人いれば10通りの読み方があるから。
しかし、対象読者を絞りきれないからといって「多数派」に向けて書くというのも、正しいアプローチではありません。
見えやすそうでいて、もっとも顔が見えにくいのが「多数派」だからです。
雑誌に置き換えて考えると、むしろ「少数派」に狙いを定めたほうが、誌面づくりはスムーズに進みます。
またはブログを書く人が「炎上」を心配しすぎると、主張の弱い、保守的な文章になってしまいます。
しかし本当に面白いブログを書くためには、八方美人にならず、批判されても構わないという覚悟で、自分の考えを主張していかなければなりません。
読者を「特定のあの人」の設定する
八方美人にならないためには、あえてたった一人の「特定のあの人」の椅子に座るのです。
いるのであれば直接の知り合いがいいのですが、いなければ自分のなかで架空のキャラクターを設定します。
「20代後半の男性」をぼんやりとイメージするよりも、「地方に住む・アパート暮らし・27歳・未婚・読書が好き」などと、できるだけキャラを決めてしまいましょう。
そのほうが言葉のベクトルがはっきりして、「その他の人々」にも言葉が届きやすくなります。
ラブソングなどでも、どうとでも受け取れるあいまいな歌詞よりも、設定が細かいところに感情移入することがありますが、それと同様です。
みんなから喜ばれようとするほど、誰からも喜ばれない文章になるので気をつけましょう。
『共同幻想論』文庫版の序文にならう
『共同幻想論』を、文庫版に改訂するにあたって書かれた、吉本隆明氏による序文の一部を紹介します。
「著者の理解がふかければふかいほど、わかりやすい表現でどんな高度な内容も語れるはずである。これには限度があるとはおもえない」
特定のあの人に向けて書くだけでは、本来やるべき説明を怠り、文章が読みづらくなるかもしれません。
「わかるヤツにわかればいい」などと考えず、どんな種類の文章でも平易であることを目指すべきです。
平易な文章を書くために
専門性におぼれないためには「第三の読者」を想定する必要があります。
たとえば自分の親のような、違う世代の人間もわかるような文書を目指すのです。
この場合は100パーセント理解してもらう必要はないし、おそらく不可能ですが、パーセンテージを上げる努力はしましょう。
難解な文章が「賢い人の文章」というのは間違いです。
それよりも、あらゆる人に開かれた「平易な文章」を書くほうが難しいのです。
【記事13に続く】
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