前回の記事からの続きです。
今回からは「読者の椅子に座る」というテーマになります。
文章を書く人は、自分にも読者がいるのだという自覚を持たなくてはいけません。
その椅子に座る、すなわち自分自身がリアルにイメージできる読者というのは、次の2人だけです。
「10年前の自分」と「特定のあの人」です。
今回は主に、10年前(過去)の自分に向けて書く理由などを説明していきます。
あなたにも読者がいる
喫茶店のオーナーは、新しいコーヒー豆を仕入れたら自分で味を確かめると思いますが、その時に実際「お客さんの椅子」に座ってみる人はどのくらいいるでしょうか。
ほとんどいないのではないかと推測できるほどに、椅子やテーブルがガタついている喫茶店が多いものです。
文章についても、お客さんを、つまり「読者」をイメージしながら書いているでしょうか。
読者などというのはプロの小説家やエッセイストが気にするものである、という考えを持ってはいけません。
メールでもブログでも小説でも、あらゆる文章の先にはそれを読む読者が必ずいるのです。
ちなみに誰にも見せない日記にだって、自分自身という立派な読者がいます。
文章というのは「書いたから読む」のではなく、「読む人がいるから書く」のです。
読者の立場に立って考える、ではまだ弱く、必要なのは読者と同じ椅子に「座ること」です。
肩を並べ、同じ景色を見ることで、ようやく読者を理解することができます。
10年前の自分に向けて書く
たとえば「猫と暮らす楽しさについて共感を呼ぶ記事」を書くためには、実際に猫を飼ってみないと難しいと思います。
ここまで限定しなくとも、「本書のざっくりとした内容を知りたい人向けに」など、なんらかの読者対象を設定しているはずです。
でも人によって置かれた環境や見ている景色が違うので、「自分には読者の気持ちがわかる」とタカをくくるのはよくありません。
このような傲慢な態度のままでは、読者の心を動かすような文章を書くことはできないのです。
僕たちが本当の意味で、その椅子に座れる読者のひとりは「10年前の自分」です。
10年前というのは便宜上の数字で、半年前や20年前でもよく、とにかく「あのとき」の自分のことです。
過去の自分に伝える言葉は力強い
あなたは今、知識や経験などの「有益な情報」を持っているとします。
その有益な情報というのは、往々にして「もしこれを10年前に知っていたら…!」と思えるものです。
もしもそんな思いがあるとすれば、10年前の自分の椅子に座り、10年前の自分に語りかけるように書きましょう。
過去の自分であれば、赤の他人と違い、どんな言葉なら聞く耳を持ってくれるか、どう伝えれば納得できるかがわかるはずです。
このようにして書かれた文章は、言葉の強度が違います。
書き手に切実な「伝えたい…!」という思いがあるので、テクニックが多少不足していようとも、必ず読み手に届く文章になるのです。
今もどこかに「過去のあなた」がいる
過去の自分に向けて書いたところで、独りよがりな文章にならないだろうかという疑問がわくかもしれません。
しかしながら古典文学を読めばわかるように、人間はどんな時代も同じような悩みを抱え、同じような苦しみを抱えているものです。
自分が抱えている問題は、意外と普遍性を持っているものだと思っておいてください。
そして今、この瞬間にも日本のどこかに「10年前のあなた」がいます。
なので、過去の自分自身に向けて書くのは、今を生きる「見知らぬ誰か」の椅子に座る、いちばん確実な方法なのです。
【記事12に続く】
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