『超訳般若心経』まとめ・要約その1

瞑想

境野勝悟著『超訳 般若心経』。

キンドルアンリミテッドで読める本書を、数記事に渡って要約していきます。

般若心経の解説本は数あれど、本書は入門書

というよりも、ある程度知っている人に新たな気づきを与えてくれるような感じです。

(逆に般若心経をまったく知らない、という人はまず他の本を読んだほうがいいと思います)

僕としては全体的にこういうのが読みたかったんだと思える内容だったので、奥に腑に落ちた点をまとめていきます。

観(かん)

毎日さまざまなものを見聞きして、頭の中の記憶が蓄積され、いつしかそれが自分本位の価値観となります。

記憶力のいい人ほど自分の中の価値観の邪魔され、他人の意見を受け入れられなくなったりします。

人間が命がけで固執するような「考え」「価値観」などのむなしさを注視してください。

自在

世の中に平和が訪れない原因のひとつとして、過去の記憶に基づいた考えにとらわれているからです。

一人一人の考えは大切ですが、無遠慮にぶつけあっていると人々は分離し、バラバラになってしまいます。

心の平和は、自分を生かしている自然の生命とひとつになった時に生まれます。

「心は自然の命にある」というのが「自在」です。

般若(はんにゃ)

誰しもが自分の記憶の中の考えにしがみついています。

禅の「手放してしまえ!」という言葉の通り、自分だけに都合がよいエゴを手放してしまいましょう。

すると本来の平和で自然な知恵「般若」が自然発生します。

波羅蜜多(はらみった)

人と競い合う状況の中、「自分が先に」と思うと焦りや不安が生まれます。

「お先にどうぞ」と人に譲ることで、自分の心の中に安らぎが生まれます。

「波羅蜜多」とは心を平和に保つ悟りのことです。

行深

上昇志向は確かに大切かもしれませんが、気持ちが強すぎると転びます。

「もっと、もっと」と欲張ると苦しみや悩みは増加しますが、「足るを知る」ことでそれらは消えます。

「自分にはこれで十分なのだ」「これでいいんだ」という思いが心を平安にします。

このように思う練習を続けるのが「行深」。

照見

過去に起こった嫌なこと、つらいことは自分の脳が記憶力しているだけで、もう存在しません。

ネガティブな記憶は「喝!」と消し去り、できれば楽しかった記憶を意識して照らしましょう。

自分の人生に輝きを見つけるのが「照見」です。

蘊(うん)

「蘊」とは集まって盛んになる、という意味。

心の中は放っておくと、怒りや苦悩のタネがどんどん集まってきます。

このようなネガティブな感情が膨らむ前に摘み取ってしまうことです。

皆空(かいくう)

一見悪いと思える出来事の中にも必ず「いい」点があります。

とにかく工夫をしてでも、つらいこと対して「ありがたかった」「これで良かった」と思えるようにする。

悩みはすべて夢まぼろしだったと気づくのが「皆空」です。

色(しき)

「色」とは、この世に存在するすべての姿のあり方ですが、それも「空」すなわち良いも悪いも本来はないということです。

だから美醜などもその時だけの仮の姿であり、こだわる必要はありません。

「受」とは、なにかを見てそれが良かったとか、悪かったとかを感じる心のはたらきをいいます。

人の感じ方はそれぞれなのに、自分の感じ方を絶対だと思うから心が騒ぐのです。

「想」とは、ものを味わったり、形を見たりする時に頭に思い浮かべる作用です。

この作用は、自分の中にある記憶にかなり影響されています。

「想」も「空」である、人の思いはその時だけのものだと知りましょう。

「行」とは生き方であり、それも「空」すなわち完璧を目指さずゆったりと人生を楽しもうということです。

のんびりと生きるのが自然であり、最善なのです。

「識」とは、ものを見た時に頭に浮かぶ価値判断です。

良し悪しの価値判断というものも確固としたものではありません。

時がたてば今まで良さがわからなった物事の良い面が急に見えてくることもあります。

五蘊(ごうん)

これまで説明してきた5つの悩みのタネ「色・受・想・行・識」が、人の平和な心を乱します。

それらは「皆空」すなわち実体のないまぼろしなのだということです。

度一切苦厄(どいっさいくやく)

「度」とは吹き飛ばすといった意味で、人のあらゆる苦しみ、面白くないことは、うまい知恵ひとつで吹き飛びます。

不幸を幸福に変える知恵が、般若の知恵です。

次の記事に続く

境野勝悟著『超訳 般若心経

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