古賀史健著『文章講義』要約#18 いい映画を観て「編集」を学ぶ

読書

20歳の自分に受けさせたい文章講義

前回の記事からの続きです。

「何を書くか」よりも「何を書かないか」を決めるほうが先だ、という話をしてきました。

今回はその「書かないもの」を見極める方法を考えていきます。

書くべきものはすでに頭のなかに揃っているはずで、まずはそれらを可視化することが大切です。

また、言葉の取捨選択は映画制作から学べることを、著者自身の体験談をもとにして説明していきます。

偏りなくキーワードを書き出す

頭の中身を可視化するには、まず紙に書き出してみることです。

紙をケチることなく、自分が今書きたいテーマに関連するキーワードをどんどん書き出しましょう。

たとえば10個のキーワードが出てきた場合、そこにはなんらかの傾向があるはずです。

それだけでは内容に偏りが出てしまうので、次のステップとして、先のキーワード群の傾向をもたないキーワードを書き出していきましょう。

難しいかもしれませんが、この努力によって、ひとつの傾向に流されない「ネタ」が揃うのです。

自分を疑う力が文章力を鍛える

つらつらと思いつくままに書くこともできますが、それでは文章の「伸びしろ」がなくなってしまいます。

ここで大切になってくるのが「自分を疑う力」です。

「思いつくままに書いたところで、ほんとうに面白い文章が書けるのか?」と疑うわけです。

幾重にも疑ってかかることで、これまで見えていなかったことが、ようやく見えるようになります。

自分の力を過信せず、いつでも「疑う力」を忘れずに文章と向かい合うようにしましょう。

映画制作はチームプレイ

著者の古賀氏は過去、映画監督にも憧れていたといいます。

大学の芸術学部で学んだ著者は、卒業制作でいよいよ自作映画を撮ることになります。

しかし、出来上がった作品は、彼の思い描いたものとはほど遠いものだったらしい。

というのも映画というのは、ひとりだけで創作できるものではなく、チームプレイで創っていくものです。

著者は集団による創作活動に自分は向かないと判断し、個人でできる文章の執筆にはげむようになったということです。

ムダなカットは1秒もない

ただし、挫折はしたもののこの映画制作の経験によって、彼は「編集」という能力を身につけたといいます。

苦労して撮影したカットでも、身を削る思いでハサミを入れていくのが映画の編集です。

だから監督にとって、その映画においてのムダなカットは存在しないし、すべてのカットに関して「なぜここに入るのか」を詳しく説明できるはずです。

この考え方は文章でも同じであり、「なぜここにこの一文が入るのか」あるいは「なぜ入らないのか」を、しっかりと説明できなければなりません。

映画鑑賞は文章のトレーニングになる

読者にとって、冗長な文章はつらいものなのです。

だから著者は「下手な文章術を学ぶよりも、見事に編集された映画を鑑賞するほうが、よほど文章のトレーニングになる」とまで言っています。

(僕も最近、これを受けてよく映画を観るようなりました。確かに、文章を書くうえで勉強になると思います)

ここで大事なのは「ムダなカットは1秒も存在しないのだ」という事実を頭に入れて映画鑑賞することです。

そうすることにより、映画を観る楽しさ自体も何倍にも膨らむはずです。

記事19に続く

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