古賀史健著『文章講義』要約#12 「特定のあの人」に向けて書く

読書

20歳の自分に受けさせたい文章講義

前回の記事からの続きです。

引き続き「読者の椅子に座る」がテーマです。

今回は「特定のあの人」に向けて書くことの大切さについて説明していきます。

書き手の多くが、多数派に向けて書こうとするあまりに、誰のための文章なのかわからなくなってしまいがちです。

架空の人間でもかまわないので、具体的な誰かに読ませることを想定したほうが、むしろ「その他の人々」に届きやすくなるのです。

「多数派の罠」にハマらないように

この文章を含め、読む人を一括りに「読者」とまとめるのは危険な考え方です。

なぜなら読者は老若男女さまざまで、10人いれば10通りの読み方があるから。

しかし、対象読者を絞りきれないからといって「多数派」に向けて書くというのも、正しいアプローチではありません。

見えやすそうでいて、もっとも顔が見えにくいのが「多数派」だからです。

雑誌に置き換えて考えると、むしろ「少数派」に狙いを定めたほうが、誌面づくりはスムーズに進みます。

またはブログを書く人が「炎上」を心配しすぎると、主張の弱い、保守的な文章になってしまいます。

しかし本当に面白いブログを書くためには、八方美人にならず、批判されても構わないという覚悟で、自分の考えを主張していかなければなりません。

読者を「特定のあの人」の設定する

八方美人にならないためには、あえてたった一人の「特定のあの人」の椅子に座るのです。

いるのであれば直接の知り合いがいいのですが、いなければ自分のなかで架空のキャラクターを設定します。

「20代後半の男性」をぼんやりとイメージするよりも、「地方に住む・アパート暮らし・27歳・未婚・読書が好き」などと、できるだけキャラを決めてしまいましょう。

そのほうが言葉のベクトルがはっきりして、「その他の人々」にも言葉が届きやすくなります。

ラブソングなどでも、どうとでも受け取れるあいまいな歌詞よりも、設定が細かいところに感情移入することがありますが、それと同様です。

みんなから喜ばれようとするほど、誰からも喜ばれない文章になるので気をつけましょう。

『共同幻想論』文庫版の序文にならう

共同幻想論』を、文庫版に改訂するにあたって書かれた、吉本隆明氏による序文の一部を紹介します。

「著者の理解がふかければふかいほど、わかりやすい表現でどんな高度な内容も語れるはずである。これには限度があるとはおもえない」

特定のあの人に向けて書くだけでは、本来やるべき説明を怠り、文章が読みづらくなるかもしれません。

「わかるヤツにわかればいい」などと考えず、どんな種類の文章でも平易であることを目指すべきです。

平易な文章を書くために

専門性におぼれないためには「第三の読者」を想定する必要があります。

たとえば自分の親のような、違う世代の人間もわかるような文書を目指すのです。

この場合は100パーセント理解してもらう必要はないし、おそらく不可能ですが、パーセンテージを上げる努力はしましょう。

難解な文章が「賢い人の文章」というのは間違いです。

それよりも、あらゆる人に開かれた「平易な文章」を書くほうが難しいのです。

記事13に続く

20歳の自分に受けさせたい文章講義

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