何かのシンクロニティシティなのか、とあるマンガの一コマに『モモ』の小説が登場したり、作者ミヒャエル・エンデの伝記マンガが手に入ったりということがあったので、昔に1度読んだことのある『モモ』の本を棚から見つけ出してまた最後まで読みました。
一応、児童文学という位置づけらしいのだけど、内容は神がかっています。時間とはなんなのか、すごく深く考えさせられる物語です(作者のエンデさんはそんなふうに一面的にとらえてほしくなかったらしいけど)
なんか、社会人になって、時間管理術だのタイムマネジメントなどといった本をいやいや読むよりも、じっくり『モモ』を読んでおいたほうがよっぽどいい気がします。
それはそれとして、ネドじゅんさんの『左脳さん、右脳さん』を始めとした著書に影響を受け、自分なりに脳と意識を探求している僕としては、この記事のタイトル通り、ヒロインのモモが「右脳」、悪役(?)の灰色の男たちが「左脳」を象徴していると解釈しました。
読むとなんかいろいろ気づく
『モモ』のほうは読んだことない人が多いと思うので、なるべくネタバレ最小限でいきたいと思います。
ただ、ネドじゅんさんや三脳バランス研究所が目標としている「自動思考を止めて意識を変容させて、日々を幸せに暮らす」といったことを実現するために、この物語はとても役に立つと思います。「役に立つ」とか言ったらだめかも。
そりゃ、子どもの頃に読めたらよかった本だけど、大人になっちゃった人も(自分も含め)ぜひ読んでほしい。なんか暇がないなって思ってる人ほど、すごい気づきがあると思う。
たとえば、人々の時間を糧にして存在している灰色の男が、普通に暮らしている人を小賢しい計算で追い詰めていくシーンに、僕はなぜかツボにはまって涙出ました。「えぇ…その時間も無駄とみなされちゃうの…?」みたいに。
モモは右脳さんっぽいキャラ
主人公のモモの素性は、詳しく語られることはないけど、小学生くらいの女の子で、実の親はいなくて1人で暮らしているところを、周りの人たちが協力して世話している感じです。
モモには「人の話をただ聞く」という特殊な才能のようなものがあり、彼女に相談しにいくことで、自然と相談者の悩みが解消されたりします。
別に、モモは何か適切なアドバイスをしているわけではありません。相談者に親身に寄りそって、その場とその時間を共有していること自体に何かがあるんだと思います。
僕はこういったモモのキャラに「右脳さん」的なものをすごく感じました。もしくは意識の焦点そのものともいえそう。
灰色の男たちは左脳さん的な
対し、灰色の男たちは、人間の姿形をしているものの実際は人間ではなく、自分たちを「時間貯蓄銀行の外交員」と名乗る不気味な存在です。
人間の「時間」を糧にして生きている存在で、そのために人間に「時間を節約しよう、無駄な時間を減らそう、その時間を我々に預けよう、それこそが成功への道だ」などと促します。
灰色の男たちの話に無意識にでも同意してしまった人たちは、自分の時間を盗まれる形になり、日々がなんとなく充実しなくなってしまう。
この時間泥棒なる灰色の男たちがどういう経緯で生まれてきたのかわかんないけど、なんかめっちゃ深いですよね。この「今ここ」ではない時間を扱うあたりが、すごく「左脳さん」的だなと思いました。
左脳さん、というか脳のクラウン回路自体を象徴しているのかも。
ミヒャエル・エンデさん、天才か
この『モモ』という物語と、ネドじゅんさんたちの「三脳バランス研究所」が意図していることが、自分の中でリンクして、まだこの程度しか言語化できないんだけど、すごい納得感を感じているわけです。
ミヒャエル・エンデさんは50年以上前の1973年に『モモ』を刊行していて、その時代にすでに「わかっていた」ということなので、すごすぎて震えました。
不変の真理か何か知らんけど、そういうのは過去・現在・未来を問わず、ちゃんとあるんだと思います。
余談ですがエンデさん、ドイツ人だけど晩年、日本人の翻訳家の女性と再婚してます。日本にも縁の深い人だってことを一応紹介したかった。
終わりに
『モモ』は時間というものを大きなテーマにはしているけれど、読む人の状況や考え方によって、捉え方がすごく変わると思います。
文明社会に対する批判と見ることもできるし、僕みたいに人間の脳の構造の仕組みと置き換えてみる人もけっこういるはずです。
小・中学生くらいのときに読んだとしたら、また全然違う感想になっていたかもしれません。どっちにしても、あなたが子どもでも大人でも読んでみてほしい。