エックハルト・トール著『ニュー・アース』。
今回は3章の後半部分を要約しました。
前回の記事はこちらです。
「エゴ」とはどんなものかをしっかりと理解することで、気づきにつながるのだと思います。
エゴは個人的なものではない
「われわれ」対「彼ら」といった集団的なエゴは、個々のエゴと仕組みは同じでも、さらに狂気じみています。
「敵」とみなした相手集団について観念的なアイデンティティを作り上げ、「彼らはこういう人間だ」と言い出します。
もう相手が自分と同じ人間だと思えなくなり、人間として根源的な一つの生命を共有していることも感じられなくなるのです。
特定のエゴのパターンを誰かに発見して強く反応してしまう場合、たいてい自分自身にも同じパターンが存在します。
しかしながら自分では見分けられないし、その気もない場合がほとんどです。
相手に対して腹が立ったら、その資質はあなた自身のなかにもあるのです。
闘いは心の癖
「悪を退治する」のが自分の使命であるとは考えないようにしましょう。
何を相手に戦っても、相手はますます強くなるだけです。
また、あなたが抵抗するものはしつこく存在し続けます。
犯罪との闘い、ガンとの闘い、貧困との闘いなどの、「○○との闘い」という表現はやめたほうがいいです。
西洋医学に代わるホメオパシーや漢方医学は、どちらも病気を「敵」として扱わないので、新しい病気を引き起こすこともないといいます。
闘いは心の癖です。「悪」と闘って打ち負かしても、新しい悪が生み出されるだけです。
あなたの意識の状態と外部的現実のあいだには深い相関関係があるのです。
エゴをありのままに、人間の心の集団的な機能不全として認識してください。
そうすれば波乱の火に油を注ぐことはありません。ここでいう「油」とは「反応」のことです。
平和と波乱、どちらを望むか?
あなたのなかには波乱を望む何者かが存在します。
なんらかの状況または思考が引き金となり、波乱を望む存在を目覚めさせることがあります。
「平和よりも自分が正しいほうがいい」という何者かが、あなたのなかにいることを感じられるでしょうか?
その存在に気づけるかどうかが大切です。
エゴを超えて:真のアイデンティティ
エゴは生き延びるために闘っていますが、そのエゴとはただの妄想にすぎないことを知りましょう。
エゴから解放されるために必要なのは、エゴに気づくことだけです。
「気づき」とは、いまのこの瞬間に秘められた力です。「気づき」とエゴは共存できません。
一度でもその感覚を味わえば「いまに在る」パワーは高まり、エゴの束縛力は失われていきます。
「いまに在る」ことだけがあなたのなかの過去を解体し、あなたの意識の状態を変容させるのです。
自己という幻想を捨てたとき、残るのは知覚や体験、思考や感情が現れては消える「意識の明かり」です。
それが「大いなる存在」であり、真の「私」です。
「大いなる存在」としての自分を知ると、絶対に重要な出来事というものがなくなります。その出来事を尊重はしても、深刻さや重さはもはや感じません。
つねに「大いなる存在」という自分の本質を感じられるでしょうか。
いまこの瞬間に「私は在る」と感じられるでしょうか。
すべての構造物は不安定
エゴの奥には「自己イメージを強化したい」という、強い無意識の衝動があります。
自分が「大いなる存在」「源」「神」とつながっているという喜びの感覚は、「思考」によって覆い隠されます。
すると自己イメージ、つまり幻の自己が出現します。目立ちたい、特別でありたい、もっと欲しいといったエゴの隠れた動機が生まれるのです。
エゴの底流にあるのは、自分が存在しなくなるという不安です。
エゴは不安を解消するために行動し、何かを手に入れて一時的に不安を紛らわすことはできますが、決して満足はしません。
どんな形も永遠ではなく移ろいゆくことを、エゴにはなんとなくわかっているからです。
トール氏は友人と自然保護区を散歩していたとき、廃墟とその近くに立てられた看板を見ました。
看板には「危険。すべての構築物は不安定」と書かれていて、友人とともに感動したといいます。
どんなに堅固に見えても、すべての構築物(形)は不安定だと気づき、受け入れましょう。
すると身のうちに安らかな気持ちが湧き起こります。
優越感をもちたいエゴ
自分のなかのエゴに気づいたとき、気づいているのはエゴを超えた「ほんとうの自分」です。
誰かにニュースを知らせるとき、悪いニュースであっても一瞬「満足感」がよぎるのに気づいたとします。
それは自分が他人より「多く」を知っているというエゴの優越感です。
また、誰かに否定的な判断をくだし、自分が倫理的に優位に立ったと想像し、エゴを強化することもあります。
エゴと名声
有名人との関係をアピールして虚構の自己意識を強化したがる人も多いです。
世間で有名になると、集団的なイメージによってほんとうの姿がかき消されてしまいます。
アインシュタインは超人扱いされるほどに賞賛されましたが、人々が創りあげたイメージと自分を決して混同しませんでした。
しかし有名人のなかには、世間からの過大評価というフィクションに自分を同一化してしまう人もいます。
実際に自分はそこらの人間よりも優れていると思い込むのです。
結果、自分自身からも他人からも疎外され、ますます不幸になります。
だから有名人は他者と真の人間関係を結びにくいのです。
真の人間関係には、相手への開かれた明晰な関心の流れがあります。
相手に対し「何も求めていないが無関心ではない」という状態です。
この明晰な関心が「いまに在る」ということで、すべての人間関係に必須の要件なのです。
(次回に続きます)
コメント