草薙龍瞬というお坊さんが書いた著書『反応しない練習』。
本人はマインドフルネスという言葉をあまり使わないのですが、そのエッセンスが詰まった内容だといえます。
前回の記事からの続きとなります。今回は引き続き後半部分を書いていきます。
他人の目から「自由になる」
「他人の目が気になる」という気持ちの正体は「承認欲」です。他人の目などというのは極端な話、承認欲が作り出す妄想にすぎません。
そもそも脳というのは、簡単にデタラメな妄想を創り出します。記憶に残っている夢などの内容が突拍子もないことからも明らかです。
仏教では、このような夢や妄想に意味を見出そうとはしないといいます。
「確かめようのないことは放っておく」というスタンスです。哲学者の言葉みたいですね。
他人の目の原因は「特定の誰か」
また、不特定多数の目が気になるようでいて、その原因は「特定の誰か」であることが多いのです。
過去に親の目を気にしながら育った、というような記憶が関係していたりします。
過去の記憶と、それに伴うネガティブな感情のエネルギーが自分の心の奥にあり、ふとしたことがきっかけで爆発することがあります。
対処法は「自覚すること」。自覚すれば負のエネルギーによる影響を受けなくなっていきます。
無心でやる、心を尽くす
他人の目を気にしたり、他人と自分を比較したりするのは妄想であり、非合理的なものです。
これら妄想から抜け出す方法は、今やっていることを無心に、心を尽くしてやることです。
そうすることでムダな反応は浄化され、充実感と喜びが得られます。
結果的に人からの賞賛や感謝を得られることもあるかもしれませんが、無心にやっているぶんにはそれすらも必要なくなるのです。
「正しく」競争する
この社会における競争は、たいてい誰かの都合で作り出されています。
例えば学校の成績などは単なる観念、記号、妄想にすぎません。周りの大人たちの手によって、子どもたちはそれが実際に存在するかのように錯覚します。
成績の良し悪しで一喜一憂するのは、承認欲が作り出した妄想でしかありません。
とはいえ競争の中に身を置かざるを得ないのであれば、その中で自分の心を保っていく必要があります。
外の世界と自分の心を区別し、心の反応や状態を注意深く観察するのです。
正しい動機は「慈・悲・喜・捨」
競争に勝つことを動機にしているうちは、幸せにはなれません。
仏教では「慈・悲・喜・捨」を動機にすることを説いています。
これらは「愛」を4つに分類したものと思えばわかりやすいです。
- ・「慈」は、相手の幸せを願う心
- ・「悲」は、相手の苦しみ、悲しみに共感する心
- ・「喜」は、相手の喜び、楽しみに共感する心
- ・「捨」は、手放す心、反応しない心
これらを動機として生きていけば良いのです。
5つの妨げに気をつける
また、以下の「5つの妨げ」が自分らしく生きることを阻んでいるといいます。
- ・快楽に流される心
- ・怒り(嫉妬なども含む)
- ・やる気の出ない心
- ・そわそわと落ち着かない心
- ・疑い(自分自身や他人へ不信感や、将来に対する不安)
これらの妨げを差し引くと「ありのままの自分」が残ります。
お役に立てればよし
他人との競争や比較から離れて、今この場所で自分にできることをやりましょう。
人にはそれぞれ得意不得意があります。生き方もそれぞれで、比較することは不可能なのです。
自分にできないことがあっても、そこで自分を否定することはありません。
考え方を変え、できそうなことをやっていけば良いのです。
考える「基準」を持つ
反応せず、心をきれいに保ち、人々の幸せを願う。
これは仏教という枠組みを超えた、普遍的な正しい生き方と言えます。
外の世界に答えを求めず、自分自身をよりどころにして生きていきましょう。
そう簡単なことではないと思います。ただ間違いに気づくたびに、正しい心がけに戻ればよいのです。「戻っては、踏み出す」の繰り返しです。
そして目指すところは「最高の納得」です。これは主観的なもので大丈夫です。
自分が納得しさせすればいいので、外の世界に振り回されません。
正しい方向性さえ見すえれば、どんな悩みも超えていけます。
終わりに
以上、『反応しない練習』後半部分の要約でした。
前回もそうですが、僕がピンときた部分を抜粋してつなげたようなものなので、厳密な要約といえるかどうかはわかりません。
なので、できれば本書を実際に読んでいただければと思います。
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