前回の記事では4章の後半部分を要約しました。
今回から5章に入ります。過去のネガティブな感情が蓄積されたものである「ペインボディ」についてです。
エゴから解放される瞬間
ほとんどの人の思考の大半は自動的に繰り返すもので、意図したものではありません。
厳密にいえば、あなたが考えているものですらなく、思考があなたに起こっているだけです。
ほとんどの人は思考に、心に取りつかれています。
心は過去によって条件づけられているから、あなたは何度も繰り返して過去に反応し続けるしかありません。
心に自分を完全に同一化することで「間違った自己意識」すなわちエゴが出現します。
ほんの短い時間でもエゴから解放される瞬間があり、そのときに安らぎや喜び、生命の躍動感を体験する人もいます。
しかしつねにエゴイスティックな状態に陥っている人たちもいます。
その人たちはどんな状況でも現在に生きておらず、過去か未来に関心が集中しています。
疎外感を感じていて、いつも「うち」に戻りたいけれど、決して「うちにいるようにのんびり」できません。
自分の状況をはっきりと観察することが、それを乗り越える第一歩となります。
感情の誕生
思考と不可分なエゴの次元として、感情があります。
だからといってすべての思考、すべての感情がエゴだというわけではありません。
思考や感情が「私」になったとき、それらはエゴになるのです。
すべての生命体と同じく、あなたの身体にも有機体としての身体自身の知性があります。
この知性の働きで、有機体は脅威や挑戦にさらされると本能的に反応します。
本能的な反応は「外的な状況への身体の直接的な反応」であるのに対し、感情のほうは「思考への身体の反応」なのです。
感情は、善悪や「私の」好き嫌いといったフィルターを通して見た、状況や出来事への反応です。
例えば、誰かの車が盗まれたと聞いても何の感情も湧かないけれど、「あなたの車」だったらたぶん慌てるということです。
身体はとても知的ですが、実際の状況と思考との区別をつけられません。だからすべての思考にそれが事実であるかのように反応します。
ただの思考に不安や恐れを感じ、エネルギーが湧いても、そのはけ口がありません。
はけ口のないエネルギーは身体に有害に働くのです。す
感情とエゴ
感情とは「頭のなかの声に対する身体的反応」です。
観察されていない感情もエゴです。
機能不全の思考に、身体はネガティブな感情で反応します。
そして今度はその感情が、ネガティブな思考にエネルギーを供給するという悪循環が生まれるのです。
無意識の想定が、個人の子ども時代によって条件づけられていることもあります。
例えば「誰も私を評価せず、感謝してくれない」という想定が自分のなかにあるとします。
すると一瞬の思考のうちに感情的な反応が起こります。こうして個人の現実が生み出されていくのです。
ネガティブな感情とは、バランスのとれた身体の機能を邪魔する有害な感情です。
恐怖、不安、怒り、悲しみ、嫉妬などの感情のことです。ひっくるめて言うと「不幸」です。
西洋医学でもネガティブな感情と身体的な病気とのつながりに気づき始めています。
ポジティブな感情は身体に良い効果を及ぼします。
しかし、エゴが生み出すポジティブな感情と、「大いなる存在」とつながった本来の状態から生じる深い感情とは区別しなければいけません。
エゴが生み出すポジティブな感情のなかにはすでに反対物が含まれていて、瞬時にその反対物に変化する可能性があります。
悪のない善はないし、高く上がれば必ず落ちるのです。
「いまに在る」状態には反対物はありせん。愛や喜びや安らぎとして、あなたの内部からはっしています。
カモに人間の心があったら
二羽のカモは喧嘩した後、それぞれ別の方向に泳ぎ去り、その後バサバサッと羽ばたいて、たまったエネルギーを放出します。
それからは何事もなかったかのようにのんびりしています。
もしカモに人間の心があったら、思考と物語づくりのせいで争いは長引くでしょう。
頭のなかの思考によって感情が生まれ、その感情がまた思考の火に油を注ぐのです。
私たち人間は心のせいで大変な思いをしています。まさに「道に迷った種」だといえます。
過去にこだわる
人間がいかに過去を手放せないかを示した逸話があります。
ある禅僧が、友人の僧と歩いていたら、水たまりを渡れなくて困っている若い娘に出会いました。
禅僧は娘を抱き上げて水たまりを渡してやりました。
友人の僧はその行いを5時間も気にして、とうとうその禅僧に「僧であるあなたが、なんであんなことをしたのか」と聞きました。
「私はもうとっくに娘を下ろしたのに、きみはまだ、抱いていたのかね?」と禅僧は答えた、という話です。
過去の人生は記憶としてあなたのなかに生き続けますが、その記憶自体は問題ではありません。
記憶にあなたが支配され、あなたの自己意識の一部になるのが問題です。
過去に条件づけられた人格があなたの牢獄となります。
ほとんどの人は不必要に大量の「精神的・感情的なお荷物」を一生抱えていくのです。
古い記憶を長々とひきずった結果、人はエネルギーの場に古い感情的な苦痛の集積を抱えます。
これが「ペインボディ」です。
過去をひきずるのをやめることは可能です。
あなたが「いまに在る」ことを妨げる過去の出来事など何もないのです。
個人と集団
ネガティブな感情が湧いたときには、きちんと向き合って正体を確認しておきましょう。
そうしないと感情が解消されず、あとに痛みが残ります。
感情的な痛みを感じることなしに子ども時代を過ごした人間は誰もいません。
子どもの場合は感情と向き合えずに心を閉ざしてしまいがちです。
そういう防衛メカニズムを成人後もひきずっていることが多いのです。
ネガティブな感情に対しては「向き合い、受け入れ、手放す」という作業が必要です。
この作業がされなかった感情は、蓄積されてエネルギー場として息づき「ペインボディ」となります。
ペインボディは個人を超えた性格もあわせもっているので、集団的なペインボディは人間のDNAにコード化されているのかもしれません。
新生児はみんな、重い軽いの差はあれど、すでに感情的なペインボディを持って生まれてきます。
重いペインボディを持った人たちの多くは、自分の不幸に耐えられないという段階に達し、それが「目覚め」の強い動機になるのです。
(次の記事に続きます)
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